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小さな町 川尻の震災報告1
【通交止め】 4月19日
わが事務所は耐震性のない100年前の建物なので、家の中にシェルター(注:六方体の木造フレーム)を入れている。震度6強の強震では、やはり被害を受けた。 被害の状況は後日行うとして、隣家の土蔵の防火壁が崩れた。
本震ではなく、震度4の余震で崩れて、レンガの塊がわが社の屋根とケヤキの木に引っ掛かっている。 余震でレンガが落ちるかもしれないと通行止めにした。 「道路占有許可」など取っている余裕はない。
【炊き出し】 4月19日
宮本繁雄さん、照井善明さんから多くの物資をいただき、 被災グループに分けても水が余りました。 ラーメン店の店主がストックの麺が傷むと悩んでいました。 そこで、急に炊き出しが決まったようです。ハムも同じような情報も入り、米は別ルートで差し入れがありました。傷みそうな麺、傷みそうなハム、 余った水と米で炊き出しが決まりました。写真は昨晩のラーメンとハム握りの炊き出し風景です。 宮本さん、照井さんも知らないと思いますのでこの場で報告です。
川尻の町づくり活動も息子の代に替わりました。今日は、別の店でカレーをつくると言って出かけました。 おそらく昨日米が余ったからでしょう。 「ゲリラ炊き出し」が3号線の寛三で始まります。
【瑞鷹酒造の鬼瓦】4月21日
私は瑞鷹酒造の米蔵を借り、 事務所に改装し営業している。 事務所の被害は後日報告するとして、大家さんである瑞鷹酒造が大打撃を受けた。県道に面する建物の屋根の棟の鬼瓦が落下しそうになっていたので、 手作業で降ろす作業が行われた。
降ろした鬼瓦を見たら「瑞鷹」の名があった。吉富瓦屋さんは、ほかの瓦は投げて降ろしたが鬼瓦だけは崩れないようにして降ろした。 文字は、遠くからはほとんど見えないので、社長以下文字の存在を誰も知らなかった。鬼瓦を降ろしてくれと注文すれば、 効率よく運びやすいように砕くのが常である。大事に降ろすところが職人の心だ。 例えは悪いが、 火葬場で喉仏を大事に探す感じだ。
近い日に、元の屋根に収まる。 必ず収まる。「新しくなったね」ではなく、 「昔と変わらないね」と言われたい。
【応援隊】4月23日
福岡の宮本繁雄さんが、木の家ネット、民家再生協会、伝統木構の会に応援を呼びかけた。 大工塾のメンバーも加わり、70名近くの応援の要請があったが、 受け入れ体制がとれていないので、46名に減らしてもらった。
応援部隊だ。主に瑞鷹酒造の応急処置をメインにしてもらった。瓦屋根の家の被害は多い。そのことで伝統構法は駄目だという烙印が押されたら困るので、修理のしやすさをアピールしなければならないという思いからである。
【二日目の応援】4月25日
本日も40数名の応援隊の作業だった。 そのうち15人は大阪の羽根建築工房の人たちだ。トビ職でもない。瓦職でもない。大工だ。なんと小雨の中の軽業だろうか。 普通の行われるように被害瓦にブルーシートを掛けるのは一時しのぎである。 建物が大きいので補修は長期化する。 それでは、瓦を全ておろし、葺き土をおろし、杉皮まで降ろした方が次の工程がうまくいくだろうとの思いからだ。 大工職の判断で行った、施主の要望はシートかけ程度だったのに。 シートを被せるだけの10倍の手間だ。
もうひとつ、土壁補修のモデルを早くつくっておこうということになった、土蔵の本来の補修にはお金と期間がかかる。 短期間で簡易改修法を考えようということになった。 土蔵の耐力を土壁には期待せず、 足場板で板耐力をとることにした。 足場板を3尺ごとの通し柱に縫い付けるのである。
福岡の宮本繁雄氏の考えである。この試行を瑞鷹全体の建物に広めていく。瓦が弱いのではない。100年もつ屋根材が瓦以外にあるだろうか。130年前の耐用年数を過ぎた瓦が今壊れただけだ。批判しないでほしい。
【9万人の避難】4月26日
9万人全員が家に住めなくて避難しているのではない。家が損傷し住むのに危険な状態な人は、確かに2万人前後はいる。残りの8割の人は 「余震」への恐怖である。 映像に映る8割の人は本当の難民ではない。家に帰れば冷蔵庫にはビールもあるし、暖かい布団もある。9万人と別に、 車の中で避難している人も同数以上は居る。私の知り合いはほとんどが車中泊避難だ。今回は「本震」の前に「前震」と発表され、 どれが本震か分からない。ひょっとしたら本当の「本震」が次に来るかもしれないという学者さんもいるものだから不安なのだ。 これから先、預言者がたくさん出現するでしょう。「本当は予言したが混乱するので発言しなかった預言者」がたくさん出てくる。その預言者に「本震」を当ててほしいものだ。
「本震」が出現して「余震」はだんだん小さくなり、 危険な余震は1週間というが、「1週間は、予断を許さない」と気象庁の記者会見があった。 14日から数えて1週間が過ぎた。 そして「1週間は、予断を許さない」とまた、気象庁の会見発表である。みんないつまで続くのかと不安がった。そのうちTV の記者会見が放映されなくなった
。 避難所から人々は、家に帰り始めた。 私も農業高校の体育館で9日間過ごした。 今日帰るが、寂しいような気もする。キャンプ気分で結構楽しくも思えた。 10日ぶりに風呂に入るが、10日風呂に入っていないが臭いとは思わない。 自分が臭わないだけかも。
【事務所の被害】 4月27日
わが設計事務所は100年経過した土蔵の建物である。屋根はgo年目に瓦を替えたが、 構造壁は変えていないので、100年前の相場の耐震基準でつくったと思ってよい。 スジカイの壁倍率換算でいえば延べ面積×20ぐらいの基準だろう。現在は、延べ面積×33である。土蔵の家が弱いのではない。伝統構法の家が弱いのではない。設計基準を昔は低く見ていたのだ。 言っては悪いが、 洋風建築のジェーンズ邸が倒壊した。 その隣に私が設計した家は、瓦1枚落下しただけだ。西洋建築と伝統建築の違いではない。 設計基準を20にしたか 33 にしたかの違いである。
わが事務所の土蔵は耐震性が低いと織り込み済みだったので、蔵の中にシェルターを仕込んでおいた。 六方体のフレームを入れ込んで、 建物は崩れても命は守る考えであった。 震度6弱のとき、私はそのシェルターの中にいた。 イーディフェンスの振動台実験と全く同じ揺れだった。 机の下に隠れた。
日奈久断層が破裂したと思った。ものすごい揺れだったが本棚は健全で棚に並べていた模型は一つも落ちなかった。 不思議だ。 震度6弱と6強の二つの地震を受けて模型が落ちないとは、腑に落ちない。
【木VS石】4月28日
なぞなぞです。 木と石はどちらが強いと問えば、誰でも石と答える。石にも種類があり砂岩等は弱いので、石も種類しだいと言うだろう。では、杉の木と御影石ではどうかと問えば、100人中99人の人が、石が強いと答えるだろう。瞬間的な力を受けて、木は若干のクッションで、衝撃を吸収するが、石は衝撃で粉々に割れてしまった(25mmであるがもっと厚ければ違うだろう)。カナズチの柄が木で衝撃を吸収する原理と同じだろう。 逆に、 石の替りに25mmの鉄にしたらどうなるだろうか。 そうすると、木の柱に被害が出る。
パッキンは水を柱が吸い上げない効果と別に、トカゲのしっぽ切りと同じく、柱と基礎を守るために役立つ。石パッキンは壊れやすいが交換がしやすい。 足固めをジャッキで上げて交換すれば300円ですむ。
【足の踏みはずし】 4月29日
足を踏み外した家である。伝統構法検証委員会で、 ある委員から柱の足の踏みはずしは絶対いけないと言われ続けた。柱が石やコンクリートから踏み外すと土部に刺さり、 家が転倒するそうだ。
そうではなかった。 家の廻り1mは、 人がよく歩き回るので、土でも結構締め固まっている。 2mも踏み外して畑に刺さるなら別だが。
【土蔵大壁】4月29日
木構造で筋交や合板は硬く、土壁真壁は柔らかいと言われている(異論もあろうが)。 土蔵の大壁はどっちだろうか。 硬い方に属すると思う。 硬くても変形性能のある柔構造と同じく倒壊をまぬがれる。 30cmもある土壁は震度6強の地震に 対して半分に割れて15cmの土が落ちた。 中の丸竹は土を保持するための役目で構造強度はない。内部の土壁はヒビだらけだったので、それ以上の損傷はない。
土壁が半分落ちたので、重量は60トンが30トンの半分になった。 残りの土と貫と柱で地震に耐えた。それで倒壊は免れた。 基準では「全壊」だが構造的には「半壊」である。 人間の片肺と同じで充分存命できる。今から人造片肺を埋め込む。 宮本繁雄の発案である。 モデルはわが事務所。
【応援部隊第4弾】5月1日
熊本震災はあまりにも被害が大きい。全体での応援はできないので小さな街に絞っての応援だ。今回、古い日本の家屋は地震に弱いと烙印をおされそうである。 だったら再建を早くしようと全国から大工たちが集まった。 川尻町の瑞鷹酒造の6棟の早期再建を手がけた。みるみるうちに元に戻っていく。
ビデオを逆回ししているようなシーンである。 これは、まさに壮絶なドラマである。 1棟の屋根が葺き終ったら瑞鷹の社員から拍手が湧いた。 目には涙を浮かべていた。この中の一人は女性の大工である。 長野の三浦創建所属の門馬菜々さんだ。
【応援部隊第4弾②】5月1日
100年前の建築物である。 瓦も古い。 ある意味で耐用年数を過ぎている。 耐用年数が過ぎたものが壊れただけだ。 天寿を全うした。30年 しかもたない瓦以外の屋根材と比較するのをやめてほしい。
比較するならその材料が100年経過してからの勝負だ。普通は、応急処置の工事は、屋根にブルーシートを掛けるだけだ。応援部隊は違うのだ。 瓦を下し、土を下し、 野地板を打ち、ルーフィングを貼った。後は瓦を葺くだけだ。 熊本震災最速 no.1の復興工事だ。
【知らない方がよかった】 5月2日
4月14日の夜、震度6弱の地震があった。漆喰壁の隅が欠けたぐらいだった。余震は、本震の7割なので、大きな余震があったとしても震度5強ぐらいだろうと思った。家族には、「大きな余震が起きたとしても震度5強なので、 家の強度は充分だ。 安心して住める」と言ったが、私の説得は聞かず、怖くて家の中に入らなかった。日ごろから信用はないが、この日もなかった。 それで私以外の家族は車中泊をした。無知の馬鹿どもがと思いつつ、私だけ安心しきって家の中で寝ていた。16日の朝方1時半に震度6強の地震を受けた。 別物の本震だそうだ。 宇宙遊泳みたいな気分になり、 家は5cm 動いていた。
2万棟に及ぶ建物の全壊・半壊の被害のほとんどが16日地震によるものだ。阪神大震災以上の倒壊建造物被害があるのに、圧死者が少ないのは、 14日の地震の恐怖で建物から逃れていたからだ。
【建築学会の全件調査】 5月6日
建築学会は3~5日の3日間で益城町の建築2000棟全てを調査するとのことだった。 中間発表を15日にするらしい。 全棟の調査なら、公平な判断がなされるだろう。著名な学者さんの「ここも土壁ですか」と発言を切り取り取材されると 「土壁は弱いんだ。 日本建築は駄目だ。裏返せば洋風建築は強い」と勝手に情宣されてしまう。益城町の中心部の建築はラスモルタルが多いようだ。 意外と土壁は少ない。 切り取り発言は要注意だ。 「思ったより被害が少ない」が伝言ゲームで強い家になってしまう。逆もある。 建築学会には学者さんが多いので、きっちり分析してもらいたいものだ。合わせて3~5日、鈴木祥之先生も来られた。建物が移動した石場建て3棟を見てもらった。 それぞれ73cm、30cm、5cmの移動である。
益城町、西原村の被災地を初めて見た。地獄絵だ。どうすることもできない。私の役目は川尻町の早期復興と石場建ての家の検証と決めている。
小さな町 川尻の震災報告2
【高級料理店の炊き出し】 5月8日
熊本市新町に「おく村」という老舗料亭がある。3本指に入る高級店である。 私は 「おく村」に今まで1回しか行ったことがない。 もちろん自費ではなかった。
本日は福岡の宮本繁雄さんら宮本軍団パート5の作業だった。 20名のメンバーのために、その「おく村」 が私たちのために炊き出しをしてくれるという。メニューは焼きそば、 豆ごはん、ダゴ汁だ。
「おく村」が焼きそばをつくるんですかと奥村氏に尋ねた。「本当は、こちらのような料理が私には似合うんです」と軽い答えだった。 「震災後、客足が減って暇だから、 私にできるお手伝いがないかと来ました」とさらに軽い答えでした。 料理をいただいた。 「焼きそば」・「ダゴ汁」は一味違った。「ダゴ汁」はクリームスープのようでもあり、味噌汁のようでもあり、 「ダゴ汁」と言ってくれないと分からないこだわり深い味だった。
ものの深さに私たちと共通するものを感じた。復興したら「おく村」に行かねばと思ったが、財布が足を引っ張りそうだ。
【土壁の補修方法】5月9日
土壁の補修は落ちた土を再度練って施工するのが一番よい。 骨組みがしっかりしていて、震度6弱程度の地震を受けなければ、再度100年は持つだろう。 しかし、 職人不足は目に見えているし、骨組みにそもそも虫害があるので、耐久性はほどほどでよい場合のモデルをつくっておきたいと思う。以下の仕様で、 わが事務所をモデルにして試算を出したい。
① 落ちた土は処分し再利用しない。
②柱は腐朽菌かシロアリで辺材が被害を受けている。 芯材は大丈夫だ。竹はぶよぶよだが、はずさない。 不陸調整にスペーサー 45×105材をコーチボルトでとめる。
③ 土蔵は間柱がないので板材は足場板を使う。 45×105材に止めるが、足場板の厚みが36mmなので、 総板厚は81mmとなる。 ビスは垂木用に210mmのものを使う
④ これは耐久性上好ましい仕様ではない。ビスの耐久性同等だろう。30年程度の耐久性を期待する。
⑤ しばらくはこの施工でとめておいて、 左官屋さんの手が空くのを待つ。表面はラスモルタル漆喰仕様にする。
【街中のゴミの山】5月10日
道端にゴミの山ができている。箪笥、布団、食器、などの家財道具である。 水屋を固定していても、食器類は水屋の中で破壊されている。 震災被害でないゴミも出ているようだが、さして問題ではない。とにかく多い。 50インチのTVを買ったばかりで被災にあったかわいそうな友人がいる。 わが家は座布団をTVの前に置いていたので救われた。
小さい家なのに、日本人はこんなゴミ(?)の中で暮らしているのかとびっくりする。 予想するかのように昨年、熊本県は南関町に大型のゴミ処分場をつくった。 これから家の解体が始まる。全壊は5000棟と言われている。
半壊でも壊す家もある。想像を絶するゴミの量だろう。 南関のごみ処分場も計画の10年を待たずして満杯になるのではないだろうか。ものづくりはごみづくりであることを忘れてはならない。
【格子櫓】5月11日
瑞鷹酒造のビン詰め工場が傾いた。100年前の木造トラスだ。トラス構造は柱の本数が少ないので柱への負担がかかり、柱が折れていた。 また、 トラス中央に荷重をかけた増築がなされていて、通常でも補強が必要だ。酒造りは、機械はストップしても酵母が発酵し続ける。時間がたてば酢になる。早急な対策が必要で、ビン詰め工場は斜めになったまま補強することにした。70cm角の格子櫓を組んで足の出を80cmとした。
横揺れが80cm以下なら保持できるし、 それ以上でも変形 1/30 をプラスして横揺れgocmまで大丈夫と勝手に支持した。格子のピッチは配線など考慮してあまり深くは考えていない。 つくってみてなんとなく安心感がある。補強というよりシンボルに見える。 4寸角の杉材で、どこにでもある材料なのでノコさえあればつくれるのがよい。傾いた柱の補強に柱を2本追加した (ボルト未)。 難点はX、Yに必要なことだ。
【川尻西連寺】5月14日
川尻町にはお寺が17件ある。大慈禅寺の次に大きいのが西連寺で、 瑞鷹酒造に隣接している。その寺が被害を受けた。 340年前の築造で、屋根や壁は部分補修があるものの、瓦が落ち、 虹梁が落ち、 内装の漆喰が剥がれ、床が10cm程度沈下していた。周囲の工務店から解体の意見が多く、昨日弊社に相談に来られた。
タイミングよく本日、 安藤邦廣先生が川尻に来られたので、 西連寺に同行してもらった。 安藤邦廣先生が壊せというはずがない。 虎の威を借る行動だった。住職の顔は昨日以上の笑みだった。
【ボランティア】5月16日
被害が大きかった益城町や西原村は熊本の東に位置している。 Hさんは熊本市内の東地区に住んでいる。 震災のボランティアを申し出たら、熊本市中央区の花畑公園に一度集まれとのことだそうだ。東から中央のセンターに集まり、指示を受けて東に行くのは時間の無駄だから、直接応援したいと川尻に来られた。 私が設計した家の建主でもある。
熊本市は大都市である。 そのために、東区、西区、南区、中央区の5つの区に分けたのに、 中央区1か所でコントロールするのは管理がしやすいからだろう。 被害は東区・南区に集中しているのに、集合場所は中央区である。 東区と南区にもボランテアセンターを置くべきだったのではと思う。Hさんは魚釣りに行こうか、ボランティアに行こうかと迷ったが、電話が通じたので川尻に来たとのこと。 すごいノリである(5月8日の話)。
【修復実験】5月18日
石の家に柱が載っているだけの家を石場建てというが、ただ乗っかっているだけではない。柱と柱を足固めという材料でつないでいる。そのつなぎ材が重要だ。 柱は基礎に緊結していないので、 強震を2回受ければ柱は動く。柱が動いてもその足固め材が家の転倒を防ぐ。その防ぎ方は次回に廻すとして、柱が基礎からずれた場合の直し方を研究していなかった。まずは、 軽微な被害である80mmずれた家から試験し、徐々に被害が大きい家の修復に手をかけ、最後は730mmずれの家に挑戦する計画だ。家を戻すことは初めての経験なので、思うようにうまくいかない。 11人でかかっても1日で終わらなかった。
しかし、 いろんな知識を得た。 本日集まったのは、木の家ネットのメンバー11名。 東京、名古屋、静岡、京都、三重、滋賀、福岡からだった。 伝統構法愛好家の剛腕メンバーなのでアイデアが続出。かなりの成果を得た。報告はのちほど。
【高森洋の液状化相談】 5月19日
2005年の福岡西方沖地震以来、液状化に関心が深まってはいた。熊本でも、液状化マップを作成され、海の近くは起こりやすいと警告していた。 しかし、今回の地震による液状化はその赤の場所ではない。川尻から熊本駅付近まで幅50mで長さ5kmの線上に帯状に続いている場所だ。 福大の村上教授が液状化の帯を地図に落としたら150年前の運河の位置と一致した。当時、川尻は細川藩の米の集積場で、米を熊本城まで運ぶための運河があったみたいだ。 時代の変化で運河は不要となり、埋めて道路にした。 その道路が皮肉にも液状化ロードになってしまった。その地域の住人は液状化など聞いていないと声を揃えて嘆く。
液状化の研究はあまり進んでいない。 対策を間違えると2次被害が起きるので、大阪のWASC基礎地盤研究所の高森洋さんが、 南高江地区で2日間、「液状化で傾いた建物の無料相談会」を開いた。 11組の相談があり、計測調査などを行い盛況だった。一人でも救済できればと自費で大阪から来られた。報道にも載らず、 みんなが知らない援助はたくさんある。
【高森洋の液状化相談②】 5月20日
昨日の報告に記した液状化の帯は幅100m、長さ4kmに修正する。液状化の2次被害は住民流失だ。知り合いの一人の家は、 道路位置指定道路に面している。 路面だけでなく、20cmずれて側溝や上水道や下水道はズタズタに切れている。
周辺全体を測量し直さないと敷き地境界線さえ不明だ。 建物復旧だけでなく、道路やインフラ整備まで負担になる。さらに、一人去り、二人去れば、残りの人に負担は大きくのしかかる。 高森洋さんの相談内容でも、 家を修復して住み続けたい人は少なかったとのこと。 再開発並みの事業が必要かもしれない。
【瓦屋根 ①】 5月21日
瓦屋根の被害が多いという報道が多い。 困ったもんだ。思うに、
1つ目、 瓦の家が多いから、 瓦の家の被害が多い。
2つ目、耐震性のない昔の家はほとんど瓦の家だ。
3つ目、100年経過し、賞味期限を過ぎて、替え時の家も瓦の屋根だ。
瓦が重いから、被害が多いという専門家がいるが、よく考えてほしい。
瓦葺だと確かに5~8% ほど家は重くなる。 よって耐震壁は5~8%多く入れる。建築基準法も、そのような計算である。 屋根が軽かったら、設計者は軽い分、耐震壁は減らす。
軽い屋根も、重い屋根も地震対策上入れる耐震壁の割合は同じで、 安全のために余分に入れるか入れないかの差はある。瓦屋根の方が地震に壊れやすいという建築士はモグリだ。
【瓦屋根②】5月22日
阪神大震災の後、瓦組合による自主基準である瓦施工ガイドラインができた(2000年ぐらいかな)。施工方法のマニュアルだ。そのガイドラインによる施工の瓦は落ちていないと断言できる。 それより以前の施工は、屋根の端の2枚だけ止めていた。 今回の地震でも端の瓦は落ちずに中央の瓦は落ちているので理解できる。瓦が地震に弱いのではなく、瓦の施工がまずかったのだ。
瓦業界の自主施工基準というのは良い。 法律だと厄介だ。 法律だとぎりぎりを狙う。建築基準法の場合は箸の上げ下ろしまで細かく法律化されている。
例えば防火網は2ミリとある。 その2ミリに議論が走る。 違反違反と攻められるから、法の条項の細部に目が行き、本来の目的を失ってしまう。ガイドラインみたいな緩やかな自主基準がよい。
建主の要望に即し、その部分を強くしたり、 普通にしたりすればよいのだ。台風に強い家、 液状化に強い家、 断熱が優れた家、地震に強い家、火山噴火に強い家、 竜巻に強い家、津波に強い家、 など好みに合わせて強化すればよい。全てに満足する家を望まれる方には、 中古の潜水艦の購入をお勧めする。
【瓦屋根③・瓦の家の被害が多く見える理由】5月23日
瓦屋根の家が、被害が多いと受け取られる理由を分析してみる。
・1950年代の家: ほぼ100% 瓦の屋根・65年経過して現存
・1980年代の家 : 90%が瓦の屋根・10%が軽い屋根・ほぼ旧耐震基準
・2000年代の家:60%が瓦の屋根・40%が軽い屋根・ほぼ新耐震基準
{計算式}
瓦の家:
65年x1+35年x 0.9+15年x 0.6=105棟の内9棟が新耐震(1割)
軽い屋根の家:35年×0.1+15年×0.4=10棟の内6棟が新耐震(6割)
瓦の家は1割しか健全でないのに対し、 軽い屋根は6割が健全である。軽い家の健全さが目に映るが、学者は視覚判断をしてはいけない。8月に建築学会による被災状況発表がある予定だが、 適切な判断を期待する。被害の大きさは屋根の仕様ではなく、 耐震基準が問題なのだ。
【瓦屋根④・費用対効果を考えよう】 5月24日
友人から瓦屋根替えの相談があった。築後40年の建物で、 いぶし瓦の棟が落ちた。瓦が重いと地震に不利なので、 板金かスレートに替えたいがどうだろうかという内容だった。確かに屋根を軽くすれば1割近くは地震に対して有利になるのは事実である。しかし、いぶし瓦の耐久性は凍害のない熊本では80年ぐらいもつ。まだ半分しか減価償却をしてないのに葺き替えるのはもったいない。
私は言った「屋根を替えれば200 万円も費用をかけたのに、 屋根の寿命が短くなるのではもったいない。 屋根は瓦のままにして、壁や建具で耐震壁補強を1割増やした方が、 費用は1/4ぐらいですみ、 賢くない?」と。
【地蔵堂の被害】 5月25日
川尻町の町内ごとに地蔵堂がある。 地震の被害を受け傾いた。 2丁目町内の地蔵堂は小さいので、私たちの手で修復可能と思い昨日行った(川尻まち復興基金による修復工事)。改めて建立年を見ると大正4年であった。
貧しい時代に建立し、裕福な時代に修理ができないとは嘆かわしい。地蔵堂は全部で7~8か所あるが、 川尻町の風景の一部となっている。1丁目町内の地蔵堂も被害に会っているが直す余裕がない。
【応急処置終了】5月27日
川尻4丁目、瑞鷹通りの瓦屋根の塀が倒れ悲惨な状態だった。4mもの距離をブルーシートで応急処置した状態が続いた。あまり見た目は良くはない。 緊急性のない塀の修復は後回しになる。1年以上もブルーシートのままではいけないので簡易な板塀をつくることにした。基礎は酒タンクの下に敷いてあるコンクリートブロックだ。
その上に置いただけの木の塀をつくった。転倒防止のために番線で止めておいて、楽に解体転用が可能なようにした。一応の対処工事はこれで終了。 なにもなかったような風景に戻った。 これからは復興の始まりだ。
【屋根⑤・100年の耐久性】5月28日
熊本はセメント瓦の発祥地である。よってセメント瓦が多い。 本物の瓦が土葺きだったころ、瓦に釘穴を開け台風に強い瓦として売り出した。 セメント瓦は耐久性が短い。 電着塗装だって耐久性は20年で、 再塗装が困難である。普通のセメント瓦だと10年毎の屋根の塗装が必要だ。
その点、いぶし粘土瓦は凍害のない地域では100年の耐久性がある。価格面ではセメント瓦が100とすればいぶし粘土瓦は95である。
どうして、みんな本物の瓦を使わないのだろうか不思議だ。 いぶし瓦は少し反りがありほんの少し手間がかかるだけのこと。施工の時に地震対策でまとめて瓦をストックしておいた。30枚ほど盗まれた。言いってくれれば差し上げたのに。
【排水ヘッダー】5月29日
建物の床下にはガス管、水道管、給湯管、排水管などの設備配管がたくさんある。 建物が動くとそれらの配管は壊れてしまう。ガス管、給水管や給湯管は最近フレキシブル状態なので自由に動くが、問題は排水管だ。 排水管も少し動くように排水ヘッダーを採用している。30cm 移動の建物では排水管の破損はあるが、 10cm以下の移動では被害はない。しかし、ヘッダーを嫌う行政が多い。例をあげるとM行政、 K行政だった。 ヘッダーだと管理がうまくいかないというのだ。排水の不具合があった場合、 施主は施工した工事店に連絡する。
行政に文句を言う人はまずいないのに、 排水ヘッダーを採用する場合は、設計者と施工者が責任を取れと念書を書かせる。念書まで書かされるならヘッダーの採用をあきらめる人は多い。
【かわしり復興集会】6月1日
熊本のお城は言わずと知れた「熊本城」である。川尻地区のお城は「瑞鷹酒造」である。本日19時より、 住民主催による「かわしり瑞鷹酒造を復興させよう!」の決起集会が開かれた。 110名の参加者だった。 慣れ親しんだ川尻の街並みが4月16日に無残にも被害に遭った姿に涙したと数名が報告した。まずは情報発信と、まずは募金から始め、そのうち何かアイデアが出るだろうと、肩苦しくない発足式だった。
行政の援助があるかもしれないが、住民が要望することがまず一番であると前市長の三角保之氏が全体を締めた。見慣れた風景がなくなることは、思い出がなくなることである。
【断熱材②・付加断熱工法】6月4日
最近、超高気密・高断熱の家が多くなった。窓を小さくするのも断性能は上がるが、断熱材の外にさらに断熱材を入れる付加断熱工法も増えている。 壁が厚いので中が見えにくい。断熱効果が高くなればなるほど結露が発生しやすくなるので、 内側の防湿層(ビニールシート)は完璧な施工でなければならない。高性能断熱の家は、熊本では少ないが、今度の地震みたいに揺れが1/30(10cmのずれ)おきたらどうなるだろうか。柱は折れずに元に戻ることが多いので、損傷の判断はつきにくい。しかし、障子は残留変形が残る。障子の紙は揺れに追随できない。 防湿層は障子みたいに壁の中で、 炸裂していると推測する。高気密・高断熱を薦めている学者の皆さんへ。 1/30の傾きは決して想定外ではない。 地震は専門外と逃げずに、 防湿層の被害を、 実験して検証すべきだ(ルーフィングはボロボロに破れている)。
「震度6強が起きる可能性がある地域での高気密・高断熱の家の建築は建てるべきではない」と言えば袋叩きに合いそうだ。
【川尻町の民家】6月7日
Z邸は西南戦争時代に大砲の弾が当たった。薩摩軍ではなく官軍の弾らしい。 梁に弾は当たり、 炸裂した破片は柱に刺さっている。今回の地震で被害を受けた。全壊である。 赤紙を貼った人も、罹災証明を発行した人も躊躇なく 「危険」 「全壊」 の表示をした。 Z氏は直したいという。
金銭的には、解体・新築の方が早いし合理性がある。しかし、歴史や個人の思い出などの要素を入れると、 合理性だけでは語れない。直す方向で考えよう。
小さな町 川尻の震災報告3
【被災物の中でのライブ】6月13日
昨日の雨、「瑞鷹」酒造の中で、ライブがあった。 入場料は 「酒を1本購入」だった。 いたるところにビニールシートがかかっているが、 平常では大丈夫だ。 が、 これからの梅雨、台風をどう乗り切るかである。
東日本の経験があっても、ブルーシートの在庫があっても、 瓦があっても、 足場材があっても、マニュアルがあっても、助言があっても、 職人がいなければことは進まない。 近年の合理化とは職人減らしの技術である。手間が高いからだそうだ。熊本の平均年収は400万円ぐらいだ。高いと思う人は、自分で修理をしてほしい。
【柱のヒビ1】6月14日
柱や梁にヒビがはいって大丈夫かとよく質問を受ける。木は乾燥すると収縮する。柱の中心部を含んでいる木材を芯持材というが、芯持材は乾燥収縮でほとんどヒビが入る (人工乾燥は入らない)。今回の地震でヒビが早まったことが起きている。
乾燥収縮の場合、ヒビは柱の中心で止まる。 ヒビを嫌う人は背割りといって初めから柱に割れをいれる。 乾燥ヒビや背割れは、強度にはほとんど影響しない。 危ないのは貫通割れである。中心を越えてヒビがはいることである。乾燥ヒビか、貫通割れかを判断するには、割れ目に針金を入れてみるとよい。 深さが、 柱の半分以下か以上かで判断できる。
【柱のヒビⅡ 】6月15日
震災報告53は自然乾燥材に限っての話だ。 自然乾燥と人工乾燥がある。木材屋さんが柱にヒビがあると売りにくいから、ヒビが表にでない人工乾燥が始まった。人工乾燥の場合、表面ヒビではなく、内部にヒビがはいっている。人工乾燥木材が地震で外部に割れが発生した場合は、 内部と外部の割れがつながっている可能性があるので、安易にヒビは大丈夫だとは言えない。打音で判断するが微妙音なので、素人には判断が難しい。
【広範囲の液状化】6月16日
液状化が起きる場所は海や川の近くが多い。 熊本地震では、150年も以前に川だった場所が幅100mの長さで液状化が起こったことを誰も予想しなかった。
さらに阿蘇の山奥でも200か所で液状化が起きていたと報じられた。理由は湧水の水位が高いからだと説明しているが、熊本平野は堆積地で6月はどこでも水位は高い。後出しじゃんけんのように、 液状化が起きた場所は、堆積地で、水位が高かったからだと言えるが、 起きる前に予測ができただろうか。震度5強の地震では今まで通りの液状化候補地で起こり、震度6強の地震では、あらゆる地域に液状化が起こるのではないだろうか。ますます液状化問題は根深くなる。
【量販家具】6月18日
台所用収納家具が被害を受けたので、量販店からカップボードを買ってきた。 扉の中はすごいホルマリン臭である。建築業界ではシックハウス法で規制をかけ、ある程度のVOC濃度は落ちた。しかし、家具業界は無法地帯である。家具の扉を開けたら部屋中に臭いが拡散する。 ホルマリン漬けになったみたいだ。
この仕様で棺桶をつくれば死体は腐らない。 家具の管轄は経済産業省である。国土交通省は、経済産業省との軋轢を恐れ、家具には規制を掛けず24時間換気扇を義務化した。 シックハウス症候群は減っていないという人もいるが家具のせいだろう。 厚生省と経済産業省と国土交通省の方々も同じ人の子であるのに。
【湧水】6月20日
地震で水前寺公園の水が枯れた。 水前寺公園から1キロ離れた場所に土地を所有していたが、その土地から湧水が出だした。25年前、湧水自噴していて枯れてしまったものが、 地震で水脈が変ってしまったのだろう。 水前寺公園の水脈がこちらにきたのだろうか。返してやりたい思いだ。
【被災建築物応急危険度判定】6月21日
震災後2次災害を防ぐために「被災建築物応急危険度判定」 がある。 市町村が建物の危険性だけでなく、ブロック塀や樹木やガラスや土間の踏みはずしなど、 総合的に判断し「危険」「要注意」「調査済み」のステッカーを張るのだ。「危険」「要注意」にはその理由を書くようになっている。 非常に類似したもう一つの「危険」のステッカーが存在することを知った。
「JIA建築物相談会」で、相談者からなんですかと質問を受け初めて知った。 ステッカー表示の内容は、「専門家により調査結果一危険一UNSAFE-この建築物に立ち入ることは危険です」だ。主催者名もない。 貼ったのはどこの組織だろうか。市町村のステッカーより頑丈に貼ってある。誰が貼ったかどなたか知りませんか。 リフォーム詐欺の事前撒き餌に思えてしまう。 この家のり災証明は「一部損壊」だった。
【紙は硬い】6月21日
地震により障子紙は結構破れている。 障子枠は変形しても障子紙は変形せず破れている。では、紙クロスはどうだろうか。下地の石膏ボードは揺れに追随しているのに、紙クロスは変形できず裂けている。障子紙は、湿潤と乾燥で伸び縮みするのに、石膏ボードより変形しないのだ。
【梅雨】6月25日
エアコンも壊れ、コピー機も壊れた。 パソコンが急に動かなくなった。5年目なので、 震災被害ではなく寿命だろう。修理が不可能なので買い替えた。 最近の家もそうなっているのではないだろうか。本日はエアコンの話。梅雨時は湿度が高い。 心地よい風が吹くとき、窓を開けるべきか、閉めるべきかと迷う。 気温30℃、湿度65%の体感温度は29.5℃である。
窓を開けたら、 風速1㎡の風が入ってくるが、 湿度が80%に上がった。体感温度は30℃とあまり変わらない。どちらでも良いのかなと思う。エアコンがないので、除湿器を持ってきた。除湿器の熱で室温が上がってしまう。除湿器のタンクは満杯になっているので確かに除湿はしているみたいだ。しかし、どこからか湿気はまた入ってくる。よくわからない。
【瓦を要りませんか】 6月28日
解体を決められたHさんから連絡があった。 三州の56型、 セメント型、昔の土ぶき64型が乗っている。56型は2階(10年前に施工)、セメントは1階、64型は1階だ。小数枚が必要な方はいませんか。 自分で取ったら差し上げるとのこと。場所は南区富合。
【梅雨期の問題】6月29日
断層近くや川沿いの家の屋根には多くのブルーシートがかかっている。 よくもあれだけの量のシートを短時間で掛けたものだと感心する。 専門家でないボランティアの人たちは、労働安全基準を無視して屋根に上ったのだ。 屋根からの落下事故は聞かなかった(あったかもしれない)。 建設業界には足場をかけるようにと行政指導がある。深刻な梅雨が始まった。 さらに台風シーズンも迎える。
風でシートがめくれ、 雨漏りが起こり、シート掛け直しの依頼が来ている。あの時の勢いや緊張感はない。 関係ない家に、 良かれと思い掛けてやったシートからの雨漏りでクレームになると工務店の社長が嘆いていた。 シートの掛け直しでも足場が必要となると、20万円近くの費用がかかる。困ったもんだ。
【ガラス】6月30日
台風対策には雨戸をつける。 雨戸を付けない場合は厚みのあるガラス、 強化ガラスまたは網入り採用する。最近、 ペアガラスが普及していて、 5 ミリガラスより3ミリ+3ミリの仕様が多い。台風時は事前に雨戸を閉めるが、 地震前に雨戸を閉めることはできないので無防備となる。 危険防止のためこは、カーテンより内障 の方がガラス飛散対策には良い気がする。強化ガラスを採用した家で、 割れないようにとガムテープを貼っているお宅があった。 気持ちは分かる。
【柱の引っ張り力】 7月1日
建物の耐震壁が地震力を受ける。耐震壁の代表が筋違いである。引き抜き力は地震による横の力の3倍となる。だから強度のあるホールダウン金物は必須と思う人は多い。 震災でホールダウン金物を引きちぎった現場があり、さらに強いホールダウン金物が必要と思うかもしれない。
しかし、引っ張りが発生すれば、筋交いの反対には圧縮が発生する。 筋交いの頭に大きな梁があれば、引き抜き力は激減する。 簡略式であるが、引っ張り力が2トン発生しても、大きな梁があれば基礎部の引き抜き力は0.5トンに減る計算になる。 土台や基礎に被害は少ない。 アンカーボルトのない伝統構法の家の梁が大きい所以である。最近の家は梁が小さ過ぎる。
【込み栓】7月2日
長い部材を継ぎ足す部分を継手、部材と部材を直行させてつなぐものを仕口という。 継手、仕口には込み栓が使われる。金物関係者は金物の強さを強調する。 金物が強いのは確かだが、強すぎて木を破壊してしまう。 込み栓は木を木で留める考えで相性が良い。
材質は樫で、 少し弾力性があり強い衝撃を受けたら少し伸びる。以前、熊本県立大学で実験をした。3~4ミリぐらいの隙間は込み栓が伸びているか、めり込んでいるかであった。 6ミリ以上だったら、 ホゾがやられているか、込み栓がやられているかであった。少しの伸びは大丈夫だと思う。
【残留変形 】 7月3日
引違い建具の場合、取り外すために枠の長さより建具の長さが3~5ミリほど短い。 地震で柱が横に揺れ、柱が斜めになり、枠がひし形になり、 縦が短くなる。建具も動くが枠に追随できず、鴨居に引っかかったままになり、柱は強引に元に戻るが、建具がそのまま残っている状態のときがある。この家の揺れた跡形を障子が残してくれる。上部で12センチの差があるので、この家は最低1/15は傾いていた。 1/10 かもしれない。障子紙は追随できないのですぐ破れてしまう。障子は揺れの生き証人だ。
【益城町杉堂】7月4日
益城町のはずれに杉堂という集落がある。布田川沿いのがけ地に石を積み上げ宅地にして人びとが住んでいる。 近くの潮井水源から水を引き、静かに農業を生業としている。 杉堂の住人Aさんからの住宅再建ができないかという相談で現地訪問をした。杉堂の人たちは避難していて誰もいない。 道路は破壊されて、水は出ない。集団移転の様相さえある。 しかし、Aさんはこの地に住み続けたいと言う。 水は水源からまた引けばすむと。
不動産価値はお金で言えばゼロ円であろう。 見慣れた風景や水のせせらぎや鳥のさえずりはお金と比較するものではない。 お金で買えない心の豊かさがこの杉堂にあるように思えた。 再建の問題でなく、集落として住めないだろう。 病院はどうするんですか。買い物はどうするんですか、という問いかけは無駄だ。そんな問題をA氏はとっくに乗り越えている。 対応に悩む。
【制震装置】 8月2日
間取りには必然的な壁がある。 家具を置いたり、建具の引き代のために壁をつくる。 その壁を耐震壁にする。 しかし、「耐震性能を2倍にするので壁を増やします」 では間取りに影響が出る。普段はいやがられるが、 「地震対策のために窓を少なくして、壁を多くつくります」 は、 現在受け入れられる。が、壁を増やさず性能を上げる方法がある。 仕口ダンパーである。新築の仕口「制振ダンパー」を付けた。
小さな町 川尻の震災報告4
耐震性能をあげるのではなく、制震性能をあげ、 家の傾きが増しても倒れにくくするためのものだ。土壁と相性が良いが、 筋交いや合板などの耐震構造の場合は、 数を多く入れないと効果はない。
【潮井神社】8月3日
布田川上流の潮井神社に行った。益城町は潮井神社の断層を文化財に指定する。 今後、国の天然記念物指定に働きかける予定だそうだ。 神社そのものにはあまり被害はないが、境内に断層が4m露出している。
潮井神社には豊富な湧水があり、布田川に流れている。こんな山奥の神社にどうして潮と命名されているのだろうか。 湧水の吹き出しは鯨の潮吹きに似ているからだろうかと勝手に思っている。
【100年前の筋交い】8月4日
100年前の建物の壁に筋交いが入れてあった。 最近は筋交いが主流であるが、 昔の建物にも使われている。彦根城も同じような筋交いを入れてある。 筋交いは強すぎて木組みの接点を壊すので、 弱く効くように入れてある。
日本人が筋交いを知らなかったのではないことを証明している。現在は柱・梁に負担させず、筋交いだけに耐震を負担させるため強すぎて、金物、 ホールダウン、水平剛性と要求が深まり別の問題が発生している。
【瑞鷹酒造復旧工事開始】8月5日
酒の仕込みは10月から始まる。深夜の交代作業なので、 寝泊まり施設が必須である。 施設が壊れて、早急な工事が必要である。 つまり、8月から工事をしないと来年の酒づくりができないことになる。それで、 「木の家ネット」に応援を訴えた。兵庫の淡路工舎の藤田大工が4人で応援に来てくれることになった。 仕事のやりくりをしてくれた。 今朝2時発で10時間かけて遠路を軽トラで来てくれた。初日は瑞鷹で歓迎の杯。瑞鷹の常務が蔵の中から次から次に日本酒を持ってきた。 まずは景気良く復興作業のスタートである。
【熊本の液状化】8月7日
4月14日の地震で1,500カ所、16日の地震で5,000カ所液状化が発生した。 液状化マップと重ねると恐ろしい。どこの県でも液状化が起きる危険性(大) の地域では注意喚起をしているが、16日の地震では危険性(小) の地域でも多発しているのだ。 震度6強の地震の場合は、かなりの広範囲で起きることになるのだ。 どこでも液状化対策が必要となれば、建築費は多大になる。 もう少し精査が必要だ。フェイスブックなるものは個人の誕生日がすぐわかる。 今朝方たくさんの誕生日祝いのメールがきた。 小包みが来るのを待っているが、まだこない。
【営繕室工事1】8月9日
営繕室の工事で壁を開けたら柱がボロボロ。そこは藤田大工の臨機応変な対応。 過去の金輪継の補修跡が見られた。添え柱と土台交換が新たな工事となった。
新築よりリフォームが絶対難しいのに、リフォームを軽んじる傾向にある。木構造を知り尽くして修繕があるのだ。新たな問題が発覚。天井をはがしたら野地板がボロボロ。棟が高い部分からの雨漏れは土が吸収してあまり気が付かない。 屋根がぽっかり空いている。 緊急事態だ。
【断層付近の標高差】 8月10日
布田川・日奈久断層帯周辺の標高差が発表になった。益城町中心から杉堂~西原町へむかっての沈下が激しい。1mも沈下している。 液状化なら理解できるが、断層付近の沈下で1mも下がって、隆起している場所は空港付近のごく一部だ。 沈下した土はどこに行ったのだろうか。
【休憩室工事1】8月11日
瑞鷹の建物群100棟の中でも被害が少なかった建物がある。 木造総2階土葺きで、 1階には壁は非常に少ない。かなり揺れたと思われるが、軸組などの構造体の被害はない。
この建物を先に修復する。少しの構造補強と、80年ぐらい前の建物と推測するが、冬寒いので、床と天井には断熱材を入れる。壁は障子紙の2重貼りで対処する。工事は兵庫県の淡路工舎の3人組が行う。 猛暑日が続く中での作業である。
【終わらない夏】8月14日
猛暑日が続く。 例年はお盆に入ると猛暑日は終わるが、今年は違う。3年前も猛暑日が20日まで続いたが、夏が後半に、ずれただけだった。 今年はおそらく猛暑日が30日間になるだろう。 沖縄より暑い地域となる。高気密・高断熱の家はどうやって暮らしているのだろうか。 24時間、 窓を締め切り状態なのだろうか。 家のつくりようが難しくなる。
【精霊流し】 8月16日
昨晩は400年続く川尻の精霊流しがあった。 その後、花火の打ち上げが恒例行事である。例年は、住民と近隣企業のカンパによる資金で行うが、今年は熊本市から「熊本地震「復興祈願」 の花火の差し入れがあった。 いつもの単発打ち上げと違い、連発打ち上げは迫力があった。
【休憩室工事2】8月18日
数寄屋造りの家だ。 柱と敷居に2分の隙間がある。畳下地板まで隙間を少なくする工夫をしていた大工が2分の隙間をつくるはずがないと思い、 敷居を動かしてみると、 外せるように加工してある。
普通鴨居は100年経過の住まいでも擦り減りはないが、敷居は桜の木でも擦り減る。敷居交換を容易にするための工夫だ。日本建築の極意を見た。
【グループ補助金】8月20日
災害地復興のためにグループ補助金制度がある。 被害額の75%を援助してくれる。 その1回目の応募審査結果が23日に発表される。
2日目の募集もあり26日が締め切りだ。川尻商店街も18社で2回目に申請しようとしている。川尻商店街は潰れそうな商店街と言われていたが、細々と店を開いていたからこそ申請が可能なのだ。 原資は税金だから、いただいた以上は倍返しで社会に貢献しなければならないと思う。 新生川尻は4年後だ。審査が通った場合の話だが。
【マグニチュード4】 8月22日
地震収束宣言が出たのにマグニチュード43の余震が続く。 2,000回の大台を超えた。 イチローが3,000で熊本地震が2,000。
覚えやすいというだけだが。強震に2回遭遇しているので、耐力は相当弱くなっている。 耐震補強工事までには相当時間がかかる。その間、余震で倒壊したら大変なので簡易な補強工事を施している。木材は長物で、 あまり加工しないようにしている。 役目を終えた時、なにかに再利用できるだろう。
【グループ補助金】 8月24日
瑞鷹酒造は、グループ補助金を申請していたが認可された。多大な資金援助をいただくことになるので、完全復旧は間違いなし。 建物の一部の改修のお手伝いをしているが、合理性が上がるようにしているので、 出荷量も増えるだろう。
【地鎮祭】8月26日
家を建てる前に地鎮祭を行う。地を鎮める行事だ。現在兵庫の大エグループが10月の酒仕込みのための準備の部屋づくりだ。
そろそろビールから日本酒に切り替える季節ですよ。前から計画していた南阿蘇の現場が始まり、地鎮祭をおこなった。阿蘇山を前にしての地鎮祭だ。山肌がむき出しな状態を見ると山が動いたのだと分かる。 これから千年ぐらいは、この地を鎮める効果があることを望む。
【地震保障】 8月29日
地震被害を補償する会社があるのにびっくりした。震度7または170カイン(熊本地震はgoカイン)の地震被害でも保障するとのこと。 100年耐久で、地震保障付きならRC造予定の熊本市民病院、天草市庁舎、 人吉市庁舎、 八代市庁舎、 水俣市庁舎はこの会社に頼んだがよい。 100年住宅・ 200年住宅が過去にあったが今は聞かないが。
【布田川】 9月1日
ほとんどの人が知らないのに一躍有名になった布田川は、小さなかわいい川だ。 断層の割れ目が川なのだろうか。昨晩、 熊本南が震源の震度5の激しい地震があった。 一番危険な3段目日奈久断層が動いたのではと思った。 が、 2段目までの動きで想定内というのが気象庁の発表だ。
それにしても、3段目日奈久断層の危険の存在には変わりない。 熊本人はびくびくしている。猛暑日のピークは過ぎた。電気の節約の広報はまったくなかった。 川内原発の存在には賛否があろうが、鹿児島人は、3段目日日奈久断層が川内の隣にあることを知らないのだろうか。 日奈久断層は日奈久ではなく、ずーと南の海の中にある。
小さな町 川尻の震災報告5
【被害の少ない液状化もある 】 9月7日
益城インターから御船インター間の高速道路を走ると遊覧船に乗っている気分になる。 液状化・地盤沈下だ。川尻地区には液状化・地盤沈下が多数起きている。
その中で、熊本市南部センターは被害が少ない地盤沈下の例だ。 というのは、杭施工で頑丈な建物は沈下していないが、アプローチは普通の施工で、平面が10cmの高さに同じように沈下を起こしている。 玄関部に10cmの段差が付いているだけだ。 広いアプローチはまったく凸凹していない。玄関を10cmの階段にすれば何事も起きていないように見える。
【高速道路の地盤沈下】 9月8日
昨日の続き:益城インターから御船インター間を紹介しよう。 高速道路なのに50キロ制限だ。 高速で走れない高速道路だ。ガードレールを見てほしい。 上下に20cmほどずれているのが分かる。 県下6,500カ所の地盤沈下というが、未調査がもっとたくさんありそうだ。
【飲んべーへ告ぐ】9月9日
金を払ったから酒を飲む権利があると思わないでほしい。 酒づくりには多数の人がかかわっている。 葡萄酒は猿でもつくるが、日本酒は複雑に人間の手を加えなければできない。酒づくりのための修復工事を行っている。
淡路島から、大工3人が安い日当で来てくれているが、 彼らのうち2人が明日帰る。1カ月間居てくれて、 お別れパーティを開いた。 熊本の人よ!川尻の人よ! 彼らのお陰で来年の瑞鷹の酒を飲めるだろう。 酒蔵祭りが行われるかどうかは未定だが、淡路島に足を向けて寝るなよ。
【家戻し工事】 9月10日
熊本市南区の現場。2cm動いた家の戻し作業である。足固め材を持ち上げながら移動させる。家に合わせて単純な治具をつくり、行・列ごとに移動させる仕掛けだ。柱1本当たり3トンぐらいの重さがかかっていて、全体ではなく部分移動なので、 2~3cm 移動が限度であろう。 移動距離ごとに工法を選択できるようにしていきたい。
【宮城からの報告会】9月13日
昨日、日本建築家協会の主催で、嘉島町役場において、「住民参加型の震災復興」の話があった。宮城から建築家協会の手島氏と石巻職員の今野さんの来熊だった。今野さんは北上総合支所勤務で、3.11で津波被害を受け職員56名のうち生き残った3名の内の一人。その後、北上町の復興対策の係は今野さん一人で、多重な仕事をほかの組織の応援を受けての行動で、信念は
徹底した住民対話だ。建築専門家である手島さんに手助けを要請し、住民の目線での復興住宅建設までの5年間の話だった。感動物語。
【床下に陥没】9月15日
地震により床下にきれいな穴があいたと相談があった。きれいな穴があき、束石が穴に落ちている。専門家に相談したら穴の周囲がきれいすぎるので人工的掘った遺跡のあとだと。湧水地なので、埋めた土が地震の影響で地下水により土が流出したのではないかという見解だった。
【川尻の船着き場】9月19日
川尻は貿易港であり、米の集積場としても栄えた。川の護岸は昔ながらの石組みを再現し、護岸のパラペットも石でつくられていた。その石垣の上2段目に亀裂が入っている。地震力は重さに比例するので、崩れるなら下部と思うが、力は複雑に作用するのだろう。
【熊本復興住宅提案プラン】9月25日
昨日、午前中は瓦の打ち合わせがあり、午後遅れて「熊本復興住宅モデルプラン提案ワークショップ」に参加した。若い建築士17名の参加で4案が提示されていた。パンフレットをつくっただけでは被災者の心には通じない。これからの手法を考えなければならない。連日「早い」「安い」の住宅業者の広告を目にする。そんな家づくりを否定はしないが、真にじっくり家づくりをしたい人が引っ張られないようにするために。
【猫の手も借りる】9月28日
有名国立大学の○○教授が川尻に来られた。学会のついでに寄られたのだが、何か手伝うことはありませんかとのことだったので、テープの端持ちをお願いした。言葉は真摯に受け止めたい。川尻の木造3階建ての建物が15cmぐらい沈下している。
液状化か軟弱地盤の沈下か原因は分からないが、沈下している事実があるだけだ。図面を起こし、梁を調べ、梁を補強し、上げる柱の位置決めをしなければならない。100年も経過していると、増改築が繰り返され、抜いた柱などがある。非常に複雑で最大の難問だ(2番目ぐらいかな)。
小さな町 川尻の震災報告6
【耐震性能残存率R】 10月2日
被災してどれくらい耐力が残っているかを示す耐震性能残存率(R)がある。 経験した(被災) 変形角で表す。 例えば1/120の変形を経験した建物の耐震性能残存率は80 %となる。クロスのしわは1/120の傾きで起きるので、クロスにしわのある家の耐震性能残存率は80%となる。 クロスだけ修繕しても耐震性は上がらない。構造体の補強確認が必要となる。 土壁の場合は土壁も1/120の変形を経験した建物の耐震性能残存率は80%だ。しかし、柱・梁の構造体は1/20~15までは強度低下を起こさないので、土壁の補修を行えば、耐震性能残存率が100 % に戻ることになる。
【古建具倉庫】10月4日
民家再生のために古建具をストックしている。その倉庫が地震で倒れた。保管場所がなくなり困っていた。ちょうどそこに、Nさん所有の土蔵が半壊の被害を受け、 解体したいが費用がかかるので、壊れたままで貸倉庫にできないかという相談があった。 Nさんの蔵は、川尻において個人所有の唯一の土蔵だ。 少々壁が落下しているが建具倉庫には申し分ないので借りることにした。
【壁の裏表】 10月8日
壁のA面が木刷り漆喰 壁のB面が縦板張り仕上げである。 裏表の壁なので、同じ角度で傾いたはずだ。 B面は被害が無いから強いのではない。強度でいえば、A面がB面より3倍ほど強い。(建築基準法の壁倍率では同じ0.5であるが)。変形性能と強度は違うというのが分かる。 被害がないので、この壁は強かったのですねとは言えない。変形性能があり強度のある壁が理想ではあるが。
【液状化の跡地】 10月14日
液状化が起き建物を解体した跡地だ。5日前に雨が降り、水たまりはそのままだ。液状化が起こりやすい地盤を砂地盤という。
水はけがよいはずの砂地なのに、水たまりがあるのは水位が高いからだろう。 熊本南区の液状化地域を調査した高森洋氏は言う。「液状化が起こると土が締まり、 液状化は起こりにくくなるが、逆に水位が上がり液状化しやすくなった場所もある」と。 まだ不明なことが多い。
【市指定有形文化財の被災】 10月16日
熊本市南区富合町釈迦堂の嘯月閣(しょうげつかく)が被災した。 熊本市指定有形文化財であるがKさんの個人所有だ。 商業建築だとグループ補助金という制度で補修費の3/4の補助金があるが、個人所有の文化財には補助金制度はない。 熊本の商業も大事だが文化も大事である。なにか救済法はないだろうか。
【川尻公会堂】 10月18日
川尻町の象徴的建築物に川尻公会堂がある。85年前に瑞鷹酒造が建造し、その後、 熊本市に寄付し、現在は市の所有である。 回廊式で三方には壁がほとんどない。 震度6強を被災して、足の踏み外しもなく凛と建っている。 床の間の裏とかの土壁は落ちて、柱が1本折れているが、外観上被災していないように見える。熊本市は再建を決めた。 ありがたいことだ。
【家の移動1】 10月22日
震源地の近くで40cm動いた家の移動が始まった。 基礎と建物がくっついている部分は家の方が破壊されている。破壊された部分の補修が大変だが、移動している部分は無被害。家移動専門の仕事とはいえ、慎重さはミリ単位だ。
【家の移動2】10月24日
40cm 移動の家が戻った。 基礎に動いたマーキングが残っている。 戻し作業は釘仕舞があると釘が引っかかりやりにくいそうだ。準備3日、移動3日、微調整2日だろうか、精度は2mm以下だ。建物の強度が戻ったわけではないので、これから1カ所ごとに補修計画を建てなければならない。
【家の移動3】 10月26日
4マス×2マス=8マスの田の字間取りの家だ。40cm 動いたので、基礎にしがみ付いた2マスが大被害にあった。
被害額は新築時の1/4とはいかないが、 見た目の被害は1/4だ。 動いた3/4にはほとんど被害がない。 震度5強では漆喰壁にヒビが入るはずだがそれもない。シーリングファンは1本足なので増幅して落下寸前の状態だ。
【家の移動4:仕口ダンパー】 10月28日
震度6強の地震を受ければ保有する耐震性能は落ちる。 地震を受け1/60傾いた家の耐震性は60%まで落ちているそうだ。しかし、変形性能があるものは1/60の傾きでは落ちない。補強工事で楽に施工ができ、変形性能のがあるものは制振ダンパーである。
開放性を確保したい場合は仕口ダンパーがよい。仕口ダンパーは柱に負担がかかるので細い柱では折れやすい。仕口ダンパーは柱が折れると批判する人がいるが、マッチ棒みたいな細い柱を使うことを批判してほしい。
【みんなの家の餅投げ】 10月30日
初めて西原村の仮設住宅群に行った。建物は同じだが、 一つ一つ違った生活がある。 昔見た炭鉱住宅に似ている。
炭鉱住宅より機能性は充実しているが、近年は遮音性がないとか、プライバシーがないとかを気にする。4棟のみんなの家 (集会所)は、コミュニティの復権に大いに役立つだろう。12月までに完成するとのこと。お年寄りは、集団生活のプロだ。 若い人も交えて、良き日本の生活が仮設住宅から戻ってきそうな気がした。
【給排水ヘッダー 】 11月2日
家が40cmも移動すれば給排水に被害が出るのは当然。 給水・排水ともにヘッダー方式を採用していた。 給水管は管長にゆとりがあるので被害はない。
排水管は建物に付いていく管と基礎へ続く管の接続部が破壊するが、費用の高いヘッダーには被害は出ない。立ち上がり部の被害の修理はいたって簡単。排水ヘッダーを認めない行政庁があるが理解できない。
【白壁のまち御船 11月3日
御船町の白壁土蔵の建物が被害を受けた。御船町にはたくさんの白壁土蔵の建物があったが、ほとんどが町外へ流出した。 民家再生の材料提供地になっていて、この建物は最後の1棟かもしれない。建て主は最後の土蔵なので御船町から流出させたくないとの強い意志を持っておられた。大きすぎて、 個人の力では持て余し、相談があった。
建築家協会会員3人で、町の力も借りたく町長面談を行った。即答で返事が来るものではないが、手ごたえは感じた。町に提供するのではなく、利活用を町と組んでやれば、おもしろい動きができそうな気がした。 5カ年計画ぐらいが必要だろう。 オリンピックより長い。
【文化財ドクターの調査】 11月6日
文化庁の依頼で、文化財ドクター派遣事業がある。 川尻地区の調査は18件だった。川尻公会堂の調査に立ち会った。 熊本大学の伊藤先生と、建築士会の山川さんの調査だった。 土壁の被害はあるものの、構造体はしっかりしている。熊本市が保存の方針を出したことに伊藤先生はさすがと言っておられた。
【町の風景】11月9日
見慣れた風景が少しずつ消えていく。 それぞれ個人の事情はあると思うが、動かないはずの不動産がなくなると寂しく感じる。解体・新築となると思うが、前と同じものが建ってほしいと願う。 が、 復興住宅の多くは安っぽい家が多い。 町全体が安っぽくなりはしないだろうか。
【田舎の風景】 11月10日
富士川一裕氏に誘われて100坪を越える大きな建物を見に行った。 土壁に被害はあるものの骨組みは健全だ。通常は、生活者に合わせて住まいがあるが、 時代の変化で、 この家は生活者にとっては大きすぎる。
建物の建築費は高い。 必要がないのに修繕を強いるのは無理であろう。 広大な敷地、ゆったりした内外の空間は、目白の田中御殿よりすごい。 民泊やゲストルームには有効利用が可能かもしれないが、ノウハウや資金が必要だ。解は見つからない。
【被災文化遺産所有者等連絡協議会】 11月12日
富士川一裕氏の呼びかけで本日1回目の総会が開かれた。 被災者同士が団結しなければならいから協議会を立ち上げようと。
熊本市古町・新町中心に計画中であったが、同じ城下町として、 川尻も加わった。 古町 新町が15名、 川尻が9名、応援部隊が10名で構成している。これから徐々に増やしていきたいと富士川氏は言う。
【公費解体の功罪】11月17日
玄関だけ倒壊している。 建物本体と付属部は別々に揺れるので、 接点には大きな力がかかったのだろう。しかし、付属部は屋根だけなのであまり重くないはずだ。 よく見ると、 接点部に梁はなく、 カスガイで梁と柱をつないであった。
り災判定では、 1回目は部損壊だったが、 玄関が倒壊しているためか、全壊に昇給したらしい。 公費解体が可能となった。事情は複雑だ。本体はしっかりしていて修繕は可能だが、 修繕業者が少ないので数年かかる。しかし、公費解体に申し込めば、 解体費はタダとなり、新築工事は業者がたくさんいる。
【グラウト工法】 11月20日
液状化により沈下した家の嵩上げ工事が始まった。地盤は20cm 沈んでいるが、 基礎は10cmの沈下だった。 グラウド注入工法によるもので、 水の中でも固まるコンクリートみたいなものを注入している。博多駅前地下鉄工事の沈下対策で使ったものかと聞いたら、似たような材料だとの返事だった。
今まで、いろんな地域で液状化が起きて、 高度な対策工事が開発されてきたが、 昔からの石の上の乗っている石場建ての嵩上げ工事が一番楽なようだ。絶対沈まない基礎をつくり、想定外で基礎沈下が起こった場合は難工事となる。基礎石は沈むかもしれないと想定した石場建て工法は、建物だけを上げるので対処工事は非常に簡単だ。 よく考えたものだ。
【土壁の中の筋交い】 11月24日
100年前の土壁の建物に筋交いがあった。柱の途中までで、立ちすぎるし、長すぎる。全面土壁で壁耐力が不足しているわけでもない。壁耐力の割り増し効果はほとんどない。 筋交いが使われ始めた時期なので、気分的に入れただけと思う。
小さな町 川尻の震災報告7
【民家再生 】 11月30日
民家再生工事を行う場合、 土壁を落とし、瓦を落とし、骨組みの状態にする。100年前のこの家は土壁は落ちているが骨組みはしっかりしていて、柱や梁などの構造体の折れは全くない。 土を落とす手間が省けて、民家再生がやりやすい建物だ。 しかし、住む人にとって大きすぎ、建築費用の大きさが障害となる。 解体になるだろう。
【建物移動】 12月2日
動いた建物の戻し作業が始まった。 床下に鉄骨をX・Y方向に入れて、80cm移動の計画だ。 ひし形にゆがんではいるが、構造が複雑ではないので修正はそんなに難しくないと思う。 場所は激震地だ。
【白蟻の巣】 12月4日
地震被害の建物を見る機会が多いが、 昨日拝見した家は地震被害調査のために行ったが、白蟻被害調査となった。
間仕切り壁の間に白蟻が巣をつくっているのだ。 こんなに大きい巣は初めてみた。巣と離れている場所の柱にも白蟻被害の痕跡があるので、外見からの目視はできないが、被害は相当のものと推測する。 地震被害より白蟻被害の方がきびしい。手が出せない。
【壊すの?????】12月6日
震災直後に見た軽微な被災の家だった。2階ロフト空間の転び止めがなかったからという話だった。
小屋裏以外は大した被害はなかった。その家の解体がはじまった。 修繕可能な古い民家の解体を憂いていたのに、近代住宅もわずかな被害建築も解体するのにびっくりした。 わずかな傷も許せないのだろうか。
【液状化調査】 12月8日
大阪のWASC基礎地盤研究所の高森洋さんが川尻に来た。 液状化の原因である川が、 昔「あったらしい」ではなく、 「あった」と断言するための調査である。 川尻の歴史に詳しい 「もやいワークス=代表岡裕二」を訪ねた。 日吉・近見・草刈・南高江とつづく液状化ラインと川尻液状化は別ルートのものだった。 岡代表の説明で地理地形から見る水路や街道の成り立ちが良く分かった。 高森さんは来年4月ごろ 「熊本液状化」の本を出すとのことなので楽しみだ。
【建物移動2】 12月10日
激震地近くの家が80cm移動した。 熊本地震がgoカイン (1秒で90cm動く) なので、80cmとはすごい。 免震装置にもいろいろあるが、単純に50cm 移動でストッパーが効くような装置だったら想定外の地震には、免震装置は役に立たない。 阿蘇の病院では免震装置が逆に災いしたとも聞いた。柱の根本が水平移動していて引き抜きは発生していない。
【手洗い鉢の修繕】12月12日
手洗い鉢の排水吐水口が壊れた。 手づくり品のため費用も高い。 私が修繕したので少しゆがんでいて、見かけは悪い。 修理費用がタダなのがよい。Hさんには少し我慢してもらう。
【公費解体とゴミ】12月14日
地震被害建築の解体は仕方がないと思う。 しかしあまりに解体が多すぎる。東日本大震災では、被災住宅は津波が持って行って海中に沈んでいるが、地球上から消えてはいない。 熊本地震の解体ゴミは目の前にある。公費解体ともなれば、 解体しなくてもよい便乗解体建物がたくさんある。解体費用相当分を修理費用に廻せば、ゴミにならない家もたくさんあるのに。
【公費解体2】 12月19日
わずかな土壁の崩落でも住む人には大被害に映る。 そのことが解体へ向かわせている。欧米では修復技術が進んでいるが、日本の建設業界は新築工事にしか目が行かない(そっくりさんなど表面リフォームはあるが)。 日本の昔の建築物は外見から構造が確認でき、被害状況の判断がしやすく修復工事は楽にできるが、技術者や職人が少ない。 ヘリテージマネージャーや住宅医などの技術者育成は始まったばかりである。
今まで経済大国ニッポンは、スクラップ&ビルドの方が経済効果があると新築を促すたくさんの制度をつくってきた。 ここにきて、自然災害大国ニッポンには修復技術の乏しさを痛切に感じる。これから、スクラップ&無頓着ビルドが加速し、都市景観は貧相ニッポン化するだろう。修理費57万円、公費解体上限なしの助成制度は、総合的にみれば日本経済にとってはマイナスではないだろうか。
【解体3】 12月22日
見慣れた風景がまた一つ消えていた。 川尻には17軒のお寺があり、全部被害を受けていたが、 天理教の教会は外見上無被害と思っていた。 内部構造に被害があったしても、伝統構法だから、修理は簡単なはず。 屋根に被害がなかったら修理までの工事は待てるはず。 訪問すればよかった。悔やまれる。 水前寺公園近くの天理教もなくなっ た。
小さな町 川尻の震災報告8
【藁畳の縮み】 1月16日
畳の際が空いている。 最初からかなと思っていたら、 事例が多すぎる。畳は板張りの床に置いているだけだ。38キロもある畳は、 家具などと同じく左右に激しく揺られた。藁床は50cmの藁を5.5cmに縮めているので、横gocmが2mm程度縮んでもおかしくない。スタイロは縮んでいない。踏んでいればいつか戻るだろう。
【くさび】 1月22日
貫を柱に留めつけるとき、くさびを両面から差し込む。地震で、壁が左右に揺られくさびが緩んでいる例が多い。普通左右対称の三角のくさびを両面から入れるが、 くさびの設置面が少ないので緩むのだ。 設置面が多くなるような形のくさびを使った家では、 緩みは少なかった。
【壁倍率より耐震断の計算を】 1月25日
壁倍率は単純で多く使われているが判断を間違えてしまう。 壁倍率は屋根が軽い・重いだけの要素で、耐震壁量を決める。耐震診断は、屋根が重い・軽いか、 壁が重い・軽いか、 1階と2階の比率で耐震壁量を決める。 屋根と壁の重さは次の計算式で決める。
軽い屋根:0.95KN/m²、瓦屋根:1.30 KN/m²、ラスモルタル塗り:0.75 KN/m²
土壁:1.2 KN/m²、内壁:0.2 KN/m²、 床:0.6 KN/m²、載:0.6 KN/m²2階建の1階部: 床面積あたりの必用耐力は次の通り (KN)
軽い屋根、ラスモルタル壁(0.95 +0.75 +0.2+0.75/2+0.2/2+0.6+0.6) X 0.2=0.715
重い屋根、ラスモルタル壁(1.30 +0.75 +0.2+0.75/2+0.2/2+0.6+0.6)× 0.2 = 0.785
軽い屋根、 土壁(0.95 +1.2 +0.2 +1.2/2+0.2/2+0.6+0.6)× 0.2= 0.85
重い屋根、 土壁(1.30 +1.2 +0.2 +1.2/2+0.2/2+0.6+0.6)× 0.2 = 0.92
1・2階の重量の比率は面積比に近いので理解しやすい。 壁倍率計算が駄目なので、4号建築も許容応力計算にすべきという意見があるが、この耐震診断程度が分かりやすいし、運用しやすい。 瓦は地震に不利と言うが、 数値から見ると耐震壁の量はわずか8.9%というのが分かる。
【耐圧版工法】1月31日
液状化で20cm 沈下した家を耐圧版工法でかさ上げする現場だ。 柱の下の基礎2mごとに、深さ1mの穴を掘り、ジャッキを据えてある。家の中の柱の下は横からトンネルを掘ってあった。嵩上げは数時間だが、事前調査と準備に相当な労力を要する工事だ。解体・新築ではなく、修繕して使う方法をもっと広報しなければならないと思った。
【柱の補強】2月6日
山梨県の安崎大工が川尻に応援に来ている。建物の構造補強をお願いしている。 6寸柱に添柱と板壁を横に添える補強だ。添柱は5寸で、板壁は3530mm+30mmを予定している。基礎にしっかり固定するのではなく、足元は少々動く昔の建物に合った補強法だ。
【昔の筋交い!】 2月8日
土壁の建物だが途中改装が行われ筋交いが入っていた。時代は分からないが、 もちろん筋交い金物なんてものはない。筋交いが太く金物があっても役に立たないだろう。 80mm×120mmの大きさで、胴縁を設置するために筋交いを切り欠いてあった。最近はマニュアル優先で、筋交いは切り欠きだめ、金物設置必須というが、こんなに太ければ圧縮だけの期待で、たいして耐力減にはならないだろう。逆に強すぎて、粘りがなく柱と梁を壊してしまう心配がある。
【壁面の補強】 2月11日
柱の刺さっている窓台に差口があれば差鴨居と同じく地震耐力の役目を果たすが、 イモ継だった。 窓ラインの内側に梁幅と同じ8寸と両側に4寸を添えた16寸幅の柱を添えることにした。 手間はかかるが材料費は3面無節柱と同じだ。「鯵で鯛を越える料理」が大工の腕の見せどころだ。山梨の斉藤大工の担当。
小さな町 川尻の震災報告9
【壁の補強】 2月15日
全面壁の場合は、どんな補強でもよい。耐力があり粘りもあるものといえば板張りだろう。30mm の板を斜め張りとし、脳天釘打ちだ。注意点は、右上がり、左上がりを同じ量にしなければならないこと。杉板は安いのだが、 カタログ掲載の杉板商品はなんであんなに高いのだろうか。3倍くらいの価格である。誰がもうかっているのだろうか。少なくとも山の人たちではない。
【応援大工最後の構造美】 2月17日
軸組と壁を補強したいが、外観を保全したいので内側に新規の軸組をつくった。 建物の自重は既存軸組に負担させ、地震力だけを負担させる目的なので、基礎はほどほどでよい。 力の流れが自然な構造は美しい。 「用の美」かな。 つくってくれたのは山梨の大工衆。横山、安崎、鐘ヶ江、斉藤さんたち。
【残留変形】 2月21日
地震により建物が揺れて、 元に戻らない状態を残留変形という。 弾力性のある木造は元に戻るが、固い鉄筋コンクリートは元に戻りにくい。 だから木造が強いと言いたいのではない。 木造の修繕が鉄筋よりやりやすいのは事実だ。
【見えない仕事】2月24日
土壁の貫部は、 土の付着が悪く表面にヒビが出やすいので、普通は貫伏せか貫に藁縄を巻き付ける。 この現場は貫にハツリ仕上げがしてあった。貫の背が高いので大工さんが土の付着がよいようにしたのだろう。隣の部屋の貫とは高さの位置を違えてあった。これまた強度向上のためだ。貫穴を二つ開ける手間は増えるが貫の強度は下がらない。後世で誰かが見て感心する仕事ぶりだ。 地震がなかったら見えなかった職人の仕事。
【熊本城】 2月26日
職権で熊本城内に入った。石垣の破損は全石垣の1割だそうだ。報道では壊れた石垣ばかり見せているけれど、 健全な石垣が9割あるということだ。 また壊れた石垣の7割は明治の地震で壊れた部分と同じだそうだ。 ある意味で織り込み済み???
宇土櫓の中まで入れてくれた。 補強の細い鉄骨は座屈していて、 耐震の役目は果たさず地震エネルギーを吸収したように思えた。
【液状化】 2月28日
南高江S邸は液状化により29cmの不等沈下を起こしていた。 沈下した建物を上げるには杭によるアンダーピニング、 耐圧板によるアンダーピニング、グラウト注入、 の方法があるが、Sさんは耐圧板による修復工事を採用した。 柱の部分を深さ1m掘ってジャッキを据え、次に家の中央に向かってトンネルを掘るのだ。これが大変な工事。 これを省略する業者がいる。 中央部は基礎から上げずに束だけ上げる。それではうまくいかないみたいだ。
【数字】 3月4日
(鳥の目の数字)・・・俯瞰して全体を見る
・公費解体の完了は、予定解体住戸を解体業者数で割り出して、来年の3月に終了予定という熊本城の石垣工事完了は、壊れた石垣の面積を石工数で割りだして、20年かかるという(蟻の目の数字) ・・・ 個々を見るので優劣が出る。行政事業が優先となる。
・仮設住宅の入居期限は2年である。 2年後には被災者が入居可能な公営住宅を完備する
・熊本市のマイス計画、市民病院、各市町村庁舎の新築工事は計画進行
・グループ補助金申請の建築は7,000件を越える。4月に相見積もりを出して再来年の3月に工事を完了しないと補助の約束はできないとのこと
【数千億のお金が熊本県に投入される。 工事費を施工人数で割ったら10年かもしれない】グループ補助金の担当者の方、鳥の目で見て計算をしてください!
小さな町 川尻の震災報告10
【赤紙の家 】 4月1日
やがて1年になる。 壊れた家をこの目で確認したのに、元と同じに戻っている。不思議な気分だ。 死んだはずのわが子に再会している気分になった。40cm移動し、赤紙を貼られた家が元に戻ったのだ。工事中、進捗を見てはいたが、新旧の材料が入りまじり、 養生紙があり、気にも留めなかった。 思い出というか、1年前にタイムスリップした感じだ。新築より絶対良い。Hさんは絶対喜ぶ。
【赤紙の家Ⅱ】4月3日
水屋が厨房機器に転倒し、 ステンレスカウンターに傷が付いている。機器の機能的には問題はない。 交換すべきかと迷う。 富士川一裕氏の現場での発言を思い出した。 彼は「自分の家のタイル風呂を完全に直すのではなく、 傷痕を残してほしい」と言う。そうだ! 「ステンレスカウンターの傷は、 地震記念として保存しましょう」 の提案がよい。
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【赤紙の家III】 4月5日
40cm移動した家の柱が2本折れた(ポーチ柱を除く)。隅部の柱の交換は可能だったが、 中央の柱の差し替えは困難だった。165角の柱を横に添えてボルトで縫った。 当初の柱も棟持ちで棟から基礎までの1本ものだった。折れた柱の外部に新設柱を添えた状態である。構造が見えることが修繕のいの一番。 見えるからこそ補強方法が決められる。
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【地震記念日 : 赤紙の家IV】 4月14日
震度7の地震を2回受け、80cm 移動した家の修復工事だ。玄関の柱が柱脚部で裂けた。 2階までの通し柱は交換が難しいので、 根継をした。継手は追っ掛け大栓という工法を採用した。 三味線の継ぎ方と同じだ。日本建築思想は災害と真っ向勝負ではなく、 修繕で立ち向かう。不具合が生じたらその部分だけを交換する考えだ。 下駄の鼻緒のように。
【地震記念日 II】4月15日
記事を書き続けて 221回目になる。 日々忘れていくので、 あの日の思いを記録しておかねばならない。14日の地震は益城で震度6強との報道だった(後日7へ修正)。川尻では震度6弱かなと思った。 事務所も軽微な被害を受けた。 余震が来ても震度5程度だろうと思っていた。 14日の地震は、益城から白旗までの日奈久断層が割れて、 マグニチュード6.5だったのだ。そして16日に別の布田川断層の地震が起きた。 マグニチュード 7.3だった。2時間遅れで、その先の阿蘇でM5.8の地震へと連鎖した。地震は100年周期と言われ、甚大な被害を受けても、 100年間は大地震は来ないよと言われれば、せめてものなぐさめである。 しかし、熊本市東部から三角まで続く布田川断層は割れずに温存なのだ。 熊本地震は日本史上最大の地震と思っているが、 M6.5とM7.3の地震だ。この程度の地震は、日本のどこかで、 オリンピックの周期ぐらいに起きている。
【赤紙の家V】 4月18日
地震を受けて、壁の中はどうなっているかわからない。 一度専門家を呼ぶが、外見だけの判断で、壁の中まで開けての診断はしない(微振動での調査もあるが)。 「外観上、 大丈夫です」の返答に安心してしまう。その点、真壁造はよい。 構造が外見から目視できるのだ。隅柱の損傷は致命的だ。 交換が難しいので添え柱設置にした。。柱と梁の接合が渡り顎だと、添え柱を建てるのも簡単だ。
【赤紙の家Ⅵ】 4月20日
ガラス戸は重い。地震により、ガラス戸が外れる時、敷居・鴨居を引きちぎった。敷居・鴨居の留め方が弱く、構造体にもっとしっかり留めるべきだったと地震直後は思った。が、今思うと、重いガラス戸を建物と一体にしておいたら構造体を壊してしまっただろう。ガラス戸は割れずに落下したので再使用ができる。やはりガラス戸の敷居・鴨居と構造は分離しておく方が正しいと思った。
【赤紙の家Ⅶ】 4月24日
構造用合板に釘をたくさん打てば強度は上がる。筋交いみたいに柱・梁を痛めないし、構造上の優位性は理解できる。しかし、吸湿性や耐久性を考えたとき、できれば無垢の板材を使用したい。無垢板を留めるのに、デッキビスという商品を見つけた。長さ65mmで、首は太い。コースレッドよりかなり強そうだ。30mmの板材を留めるのにちょうどよい。錆にもよさそうで、ビス頭もきれいだ。構造耐力がどの程度あるかは分からないが、粘りもありそうだ。
小さな町 川尻の震災報告11
【基礎かさ上げ工事】4月27日
液状化により沈下した基礎の耐圧盤によるかさ上げ工事である。 鉄筋コンクリートは、引っ張り力は鉄筋が負担し、圧縮はコンクリートが負担する。コンクリートにヒビが入っても強度にはほぼ影響がないというのは専門家間では通用する。かさ上げ工事でコンクリートにヒビが入る場合がある。 基礎の上の土台までモルタル仕上げの時、モルタルの継ぎ目にヒビが入りやすい。素人にはコンクリートもモルタルも違いが分からないので、 工事前に十分説明しておかねばならない。 かさ上げ工事屋はモルタル修繕まで見積もりに入れていない。
【未来】 5月3日
「未来」のタイトルで、 桜町再開発プロジェクトは予定通りの進捗ですというチラシができた。東京の知人が「熊本の復興は進んでいるみたいですね」 と言った。遠方ではそう見えるらしい。 桜町再開発プロジェクトは予定通り進捗、熊本城天守閣は19年にエレベーターが付いて完成。 熊本市民病院も新築。熊本市花畑別館も増築部 が 一部壊れただけなのに解体用の足場が掛けられた。市民病院は急ぐかもしれないが、ほかは今までなかったもので急ぐ必要はない。 職人は金力で官の総取り。熊本の官には未来があり、民には未来はない。
【建物沈下】 5月18日
液状化、圧密促進、側方流動などの原因で建物が沈下している。熊本市東区の建物が7cm 沈下した。5mで7cmなので14/1000の傾きである。 建築時の地盤調査を見直したが、 液状化の予想はつかない。近所のお年寄りから、終戦時軍隊が穴を掘って武器を埋めたと聞いた。周辺の沈下の状況からみて、 沈下地点はまだらである。 5mも掘るのだったらまだらには掘らないだろうと謎は深まる。 原因は何であれ、建物の沈下の補正に2/3の補助金が出るのはありがたい。
【来訪者】 5月22日
昨日、新建築家技術者集団のグループが鹿瀬島団長のもと16名やってきた。情報が氾濫し、 一つの情報で、決めつけることが多すぎる。その例をあげよう。「建築基準法の耐震壁は基準の1.5倍入れれば震度7に耐える」や「震度7を60回入力しても大丈夫」という情報には地震の周波数の記載がない。 京都大学の五十田教授が熊本地震宮園波(周期1.2秒)の実物大実験を行った。倒壊防止には建築基準法の3.5倍が必要だった。 耐震の上限にはキリがないので、技術者は、災害とどう向き合うかの方が課題で、 修繕の知識が必要だ。 川尻には、修繕の知識習得の材料が山ほどある。 またとないチャンスだ。 技術者集団の方はまた来てほしい。 今度はカナヅチを持って。
【大工志の会】 5月27日
大工育成塾という国の事業があった。10年以上続いているが来年で終了するらしい。九州にはその塾生が100名ほどいる。塾生は脈々と関係をつないで大工|志の会を立ち上げている。伝統的構法が好きな若い大工たちである。大工志の会の池尾会長は、腕が発揮できる物件を探していた。 彼に瑞鷹酒造の復旧工事を提案し、本日、川尻に集まることになった。彼ら15人と川尻の職人8人での作業はとても順調に進んだ。 望んで大工を選択した子たちなので飲み込みは早いし、 初対面でもチームワークを築くのが早い。東京から馳せ参じた若者も3人いる。また来たいと言ってもらえるように、今から会議室で夜の接待だ。
【砂利の柱状改良】5月29日
地盤が弱いために砂利による柱状改良事業を行った現場があった。地盤改良は平常時の沈下対策で、 地震対策と思うなとは高森洋の言葉だった。5mの深さまでの砂利柱状改良地盤が2.5cm不等沈下していた。砂利が縮んだのか、 5m下の支持層が沈んだのかは分からないが、石場建てだと2.5cmをあげるのに数時間しかかからない。
小さな町 川尻の震災報告12
【柱を真っすぐにする】5月31日
建物の柱がバラバラに動いていた。 通し柱の2階に壁があり、1階が開放空間となっていて、接点部で、くの字に曲がっている。建物を引き戻すより柱の足元を蹴り返して柱を真っ直ぐにする方がよいと考えた。 元の柱の位置からずれることになるが、大きな建物の独立柱の場合は、あまり影響をあたえない。
【格子壁補強】6月2日
全面壁でない構造補強は方杖が一般的だが、和風には似合わない。そんな時には
格子壁が良い。格子組の大きさやピッチは熊本県立大学の北原研究室がベストミックスを出しているので、それに従った仕様にした。
【筋交いを否定しないⅠ】6月4日
補修マニュアルは、簡単な工事と、基礎までやりかえる大掛かりなものがある。筋交い部が壊れた場所を補強する例があるが、構造の接点を壊したからと接点をさらに強化すると別の問題が発生する。 90 × 150の大きな筋交いの事例がある。筋交いが強すぎて、柱を押し、ドア枠が6cmずれていた。 修理方法として軸組の中にもう一つ軸組を入れた。 中の軸組みで応力を受け、 既存の軸組の接点に応力が集中しないようにした。 (続く)木造は柱・梁のフレーム部分と壁材部分で構成されている。 真壁づくりの場合は、構造材が目に見えて、破損部分が確認でき、 修繕方法が決めやすい。柱が仕口の部分で折れていた。取り替えるのは厄介なので、 補強する方法を取った。建具の戸当たりを120×120の添柱に変えて、 3本の抱き合わせ柱とした。外部からみるとゴツく見えるが、家の中から見るとあまり以前と変わらない。
【柱補強】 6月8日
全面壁でない構造補強は方杖が一般的だが、和風には似合わない。そんな時には格子壁が良い。 格子組の大きさやピッチは熊本県立大学の北原研究室がベストミックスを出しているので、それに従った仕様にした。
【筋交いを否定しない Ⅱ 】 6月10日
(続き)2重軸組とは、土台の上に土台を乗せ、両柱の内側に柱を建て、40×90の筋交いをハの字に建てる。 正面から30mmの厚板を強力なデッキビスで筋交いに留め付ける。構造的に、軸力系からせん断系に変わるので、 軸力は働かず柱と梁の接点を痛めることが少ない。
【杉材の粘り】 6月16日
ケヤキは強いが粘りはない。逆に、スギは弱いが粘りがある。建物が80cm移動し、基礎を踏み外し10 cm落ちた。屋根も10 cm落ちたが、スギの粘りが功を奏し、 梁は折れなかった。 瓦も割れていない。ズレたら戻せる家。巨大な地震力に正面から対抗せず、逃げる戦法は日本の柔道にも似ている。この粘りを利用した工法が、日本の御家芸だろう。
【熊本県議会】6月20日
本日の県議会の一般質問に高島和男議員が立った。「グループ補助金」についての質問だった。 書類作成に慣れない申請者は何回も書類を書き直され、 スケジュールの中で自分が居る位置がわからない。また、グループ申請時に見積もりを出したので、受付が完了し順調に進んでいると思っている申請者も少なくない。 そして、最大の問題は締め切り日である。狭い熊本県に何千億のお金が舞い込んでいるのに、来年や再来年に工事が完了するわけがない。 仮設住宅や被災建築物は急がなければならないが、 便乗建て替えの新庁舎などの公共建築は31年以降にしてもよいのではないだろうか。 行政の早期復興が民間を苦しめている。
小さな町 川尻の震災報告13
【坂本町鶴之湯旅館】 7月6日
八代市坂本町の山奥に木造3階建ての鶴之湯温泉がある。 耐震性能があるか見てくれと相談があった。壁が少ない木造3階建ての建物に、少々の補強をして大丈夫ですとはちょっと言えない。J-SHIS(地震ハザードステーション)で調べたら、この場所は表層地盤増幅率が0.57 と岩盤に近く、震度6強の可能性が0%だった。 地震確率も低く、 増幅も少ないですとしか言いようがなかった。 横瀬先生が言うように日奈久断層が連続した断層ではないとわかれば巨大地震の発生率は低くもう少し安心できる。
【芯持ち柱のひび】 7月8日
地震で柱にひびが入った例は少なくない。住人は非常に心配する。 「ひびが中心で止まっていれば、柱の背割りと同じで強度の心配はありません」と言っても柱の横断面を見るわけにはいかない。ちょうど、階段手摺の親柱のひびが上部から見られる例があった。笠木手摺が固定化され、ひびを誘発したのだろう。この例では、ひびは材の中心の位置で止まり、背割りと同じだ。へらを差して深さを再度確認した。
【欄間が耐震構造になる】 7月10日
既存の欄間障子を外し、 引き違い溝2本のうち、1本にはめ殺し障子を入れれば耐震壁に早変わり。30mm×30mmの骨太格子にして両面から障子紙を張ると、 通光性は確保できるし、断熱性能も上がる。柱の曲げが耐震要素なので、 欄間は強すぎてもいけない。 柱の太さとのバランスが重要だ。
【制震ダンパー】7月12日
制震ダンパーは普通床下か小屋裏の見えないところに設置するが、 柱と受け梁の露出部分にも設置したかった。 大工さんにダンパーを隠してくれと要求したら、木で囲いを付けてくれていた。
【グラウト抽入】 7月25日
5mの間知ブロックの上に、境界から8m離して建物を建てた。 7cm 沈下した。砂は噴き出していなので、液状化ではないと思う。 擁壁の動きもないので、側方流動でもない。建物だけめり込んだ形跡もない。圧密促進だろうか。10年も経過しているので、圧密だったら、 今までになんらかの異変はあったはずだ。原因はよくわからないが、建物沈下補修に2/3の補助金が出ることはありがたい。グラウト抽入でびっくりするほど元に戻った。
【真壁の補強】 7月28日
土壁仕様の押入れは真壁なので、 柱と壁の間にはチリがある。そのチリ部の柱にアルミアングルを取り付けて、構造用合板を張って耐震壁にした。名古屋工業大学・井戸田研究室の実験レポートを参考にした。 既存建築の上部と下部は天井や床をはがさないと施工がしにくい。 はがせばいろんな施工法はある。 研究室の実験データを見ると上部と下部には構造用合板を貼らない実験データがあり、67%の性能だ。 壁倍率でいえば、2.5×0.67=1.6になる。 合板でもよい場所には、 1.6は土壁相当で補強壁としては十分である。
【土だった壁を木でアンコ】 7月30日
フレームの中に窓枠があり、周囲は土壁仕様である。 土壁を外し、60mm×60mmの角材で充填した。 角材のつなぎは正面から下地板を釘打ちする。 下地板は普通収縮を考えて隙間を空けるが、密に釘打ちした。このまま半年放置して、乾燥収縮が終わってから次の工程に入る。耐震性の数値化は困難であるが、土壁より強度は出る。
小さな町 川尻の震災報告14
【筋交いの欠点を解消】 8月1日
筋交いが折れると、「筋交いが弱かった。もっと強い筋交いを」と思いがちだが、強すぎると軸組を壊し、さらなる問題が発生する。筋交いはそのままにして、筋交いの斜め線に沿って厚板貼りにすれば筋交いが軸組角に応力集中しなくてよい。首の太いデッキビスを筋交いの線に沿って打っている。
【土蔵土壁を修繕】 8月3日
土の厚さは8寸 ( 24cm) ある。わが事務所は3枚おろしのように丸竹を芯にして半分だけ土が落ちた。土壁を全部はがすのも大変なので、半分の土は残しておいて、上から36mm厚の足場板を骨太ビス(21cm)で柱に留め付ける。3尺ごとに柱が入っているので、1カ所当たり座金付きを4カ所設置した。これで構造は完了。表面仕上は、時間の余裕ができてからの工事となる。
【角補強】 8月5日
角金物があるが見た目が良くない。 木で三角をつくってコートボルトで止める。壁倍率でいえば 0.5ぐらいである。
【金輪】 8月7日
木造は腐れに弱い。 それで悪い部分を切り取って交換するという技術が脈々と伝承されている。その一つに金輪継ぎという継手がある。金属を使用したわけではないが、金輪をはめたくらい強いという意味である。 細かい寸法は、東北の大工さんから鹿児島の大工さんまで共通である。柱を15mm上に上げれば、根本交換できるという日本の伝統大工技術である。なくしてはならない。
【竿縁天井】 8月11日
大型商業施設の地震被害は、ほとんどが天井材の落下だった。現在は、建築基準法で天井材が動かないように細かく規定されているが、昔は基準がなかった。日本の昔の天井材は竿縁天井が一般的だ。 杉板の厚みは7mmと薄く、8畳の部屋の天井の重みは45kgと非常に軽い。 地震荷重は重さに比例するので、横方向に10kgの動きを止めるだけなら竿材で十分耐える。地震大国ニッポンの竿縁天井は、頑丈にするのではなく、軽くすることで、地震対策をとったと推測する。
【差し鴨居】 8月21日
全面開口で壁がなく足固めがない場合は、せめて差し鴨居は欲しい。足元が動き、継手・仕口に応力集中し破損している。30×150の雇ほぞを使って差し鴨居を設置した。雇ほぞの粘り力が発揮されるので、金物では出せない効能がある。
【レンガ腰壁】8月30日
上部構造の重みが基礎に伝わる。平屋の地震力は屋根荷重と壁の半分の重さに比例する。屋根の重さを軽減すれば、レンガ腰壁+基礎部に伝わる荷重はぐっと減る。 レンガ壁は非常に弱っている。が、レンガ壁を残してほしいという要望だったので、屋根と壁半分の重さがレンガ壁にかからないようにした。 地震に対しては2本の差し鴨居で横の応力を負担する。露出木材は数カ月経過してヒビが入ってから防腐剤塗布するのが良い。
【古建具】 8月31日
全面開口で壁がなく足固めがない場合は、せめて差し鴨居は欲しい。足元が動き、継手・仕口に応力集中し破損している。 30×150の雇ほぞを使って差し鴨居を設置した。 雇ほぞの粘り力が発揮されるので、 金物では出せない効能がある。古い建具がたくさん出てきた。紙を貼り替えれば新しく生まれ変わる。 宇土中学の生徒が体験学習にきているので、洗いの作業を手伝ってもらっている。
小さな町 川尻の震災報告15
【新築時の修理用アンカー】9月3日
熊本南区には地下5~7mに堅い層があるが、その下の砂層が液状化を起こし建物沈下した例は多い。 真の液状化対策は15mほどの杭打ち事業が必要となり、工事費用がかかりすぎる。 起こるかわからない液状化対策より、 起きたときの修繕のしやすさを考える対策施工もある。 WASC基礎地盤研究所が考えたモードセル工法だ。 土台アップ用のアンカーボルトを入れておいて、沈下したときに低額で修理が行える優れもの。 ホールダウンにも対応できる。
【建て起こし工事】 9月28日
建て起こし工事は、ワイヤで引くか押すかである。大きい建物の場合は両方を行う。 どちらも踏んばる場所が必要だ。 塀の基礎を利用するとよいように思えるが、 建物が大きいと塀の基礎を壊すそうだ。 鍬農曳家さんは、この場合、杭打機で2mごとに鋼管を1m打ち込んで反力を取っていた。 箇所数、杭長、角度は、勘によるものらしい。
【9回2アウト 2ストライク】9月30日
公費解体を申し込み、 解体予定日が決まり、 地盤調査も済み、3社の住宅会社を検討し、解体・新築の計画で進んでいた。 でも、 最後に一度見てほしいという依頼だった。 判定は「半壊」だが、 どうしてこんな立派な家を壊すのかと思った。 いぶし瓦のこの家は、 最近の住宅を新築するより修理費が安いし、長持ちする。3社の住宅会社が、修繕を勧めなかったのが非常に疑問である。最後に言われた「公費解体は辞退します。 修繕へ」 に安堵した。
【沈下した基礎石の補強】 10月9日
長年経過していると基礎石が沈下している例は多い、コンクリート基礎より、基礎石が低くなる場合がある。基礎石に鉄筋を刺して、 柱がコンクリートに埋まらないようにしなければならない。 基礎が完成してから、柱近くの足固めに束を入れて、カを分散させる。
【修繕壁A】 10月11日
傾斜した建物を曳家で建て起こし固定しなければならない。 筋交いで留めるのが簡単そうに思えるが、 接点部材が小さすぎる。 建物は1/15まで傾いても倒壊しなかったのだから、 1/15 以上まで耐える耐力壁を採用するのがよい。 27mm 貫5段に縦板 30mmデッキビス止めとした。 耐力は今後実験で求めていかねばならない。
【熊本地震データのねつ造に残念】10月13日
地震は竜巻に似ていて、場所により強弱の差は大きい。 その差は計測値がないと証明できない。益城町に防災研の震度計が2カ所設置してあり、一つが計測震度6.7(震度7) を記録した。 そこより500m離れた地点が、建物の倒壊率は70%で、最大に揺れた場所と言われていた。たまたま4月14日の地震の余震を拾うために、○○助教がその地点に震度計を置いていた。 それが4月16日の地震の波形を拾い、 史上最大の計測震度6.9を記録した。 はずだった。 その波形が偽装だったとは。あまりに地震が大きく、設置した震度計が吹き飛び、測定できず、偽装したらしい。 阪神大震災の鷹取波より、 中越地震の川口波より、熊本地震が大きいのに、示す証拠が消えた。 熊本地震が史上最大と言えなくなってしまった。
【援助期限は2年とのこと】10月15日
全体の状況が見えない。 仮設住宅の入居者はまだ 45,000人もいるという。47,000人のうち2,000人しか解消していない。57万円の臨時修繕執行も60%だそうで、やっぱりそうか、みんな遅れている。 自分だけ遅れていると思っていた。 仮設入居期間2年を3年に延ばしたのは当然であろう。 東日本では6年が過ぎた今も、 仮設入居者がいることを知っている。グループ補助金や復興基金の援助はありがたい。 でも執行期間が2年なので、 申し込みはもうすぐ打ち切り。 工事完了期限も迫り来る。「せっかく補助金をつけたのに、 まだ終わらないのか」 「Aは終わっている。Aの方法を見習え」などの声を聴く。 徒競走で全員が一番にはなりえない。
【方枚】 10月23日
筋交いは柱と梁の接点を壊す可能性があるが、方杖は柱を折る可能性がある。両方から柱に刺す場合はなおさらだ。方杖は柱より弱くしたほうがよい。柱5寸に対して、方杖は4寸にした。もう少し細い方がよかったと思う。壁補強より下部が空間になるのがよい。
小さな町 川尻の震災報告16
【角柱の内部からの補強】10月25日
角柱に損傷がある場合は外部から補強するのがよいが、 防水や美観上、 内部からの補強となる場合がある。桁と梁に火打ちをかけ、その火打ちを柱で支える仕組みである。 柱半分切り欠くので、柱の大きさは150×150。 柱を先に取り付けて、 火打ちを差し込む。
【消えた建物】 11月1日
全てではないが解体された建築物を記した。これからも増えて70戸以上にはなるだろう。 建物は恒久物ではないのでいずれ朽ちるし、公費解体もあり、仕方のないことだろう。 新築より修繕したほうが安くて、長持ちする家もたくさん解体されてしまった。 せっかく新築するなら、 どこかの国のスタイル建築ではなく、日本の気候風土のあった見慣れた景観で建築してもらいたいものだ。第2次世界大戦後、 焼け野原になったドイツは、法律で、 戦前の景観で新築することを決めて今がある。
【リニューアルオープンおめでとう】 11月8日
古町・新町のピュアリィがレストランスペースを新設して再建した。 グループ補助金の支援金があったとはいえ、 25%+ 8% = 33% の自己負担は大きい。構造補強もきっちりされていたので、瓦の寿命の80年は大丈夫だろう。反後さんには100歳まで頑張ってもらいたい。
【川尻の土蔵】 11月16日
川尻には昔はたくさんの土蔵があった。現在、民間住宅付属で残っているのは、 野田さん宅の3.5間×7間の大きな土蔵だけである。グループ補助金の対象外だったので、熊本市に復旧費用を申請していた。 熊本地震被災文化財復旧復興基金からの援助が出るとの内諾の連絡があった。 登録文化財並みの補助金である。原資は税金ではなく全国の皆さんの寄付だ。 ありがたい話である。
【赤瓦の家】 11月18日
文化財登録はしていないが文化財的価値があると思われる建物にも熊本地震被災文化財復旧復興基金からの援助が出ることになった。 私がかかわった建物が、 100坪を越えていて個人負担の修理は荷が重すぎると思っていたが、 救いの手が出てきた。
【古町・新町 川尻の町屋保存】 11月20日
川尻地区の古い建物で、 グループ補助金に該当しない家に対し、罹災証明ももらっていなくても、町屋に対して半額補助の助成制度を来年1月から始めるとのこと。 ちょっと遅すぎた。 壊した家がたくさんある。
【文明開化】 11月26日
明治期、西洋の文化が入ってきた。筋交いもその一つだ。日本の大工は収まりを大事にする。 土壁の中の筋交いを面一に収めようと、筋交いと重なる部分は竹小舞をカット、筋交いが貫と重なる部分は筋交いをカット。 筋交いの原理はわからないまま姿図だけを西洋のコピーをしようとしたのだ。筋交いが効かず軸組を壊していなので、 逆に助かった1例。※グループ補助金・・・ 熊本県が行う中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業
小さな町 川尻の震災報告17
【寺のかさ上げ】11月29日
川尻1丁目の浄行寺の地震修復工事である。建物を2mかさ上げして、その下で基礎をつくり、下す作業とのことだ。 請負は隣町の鍬農組である。 来年に鍬農組は川尻公会堂の矯正工事を行う。
【柱補強】 12月2日
長押が廻っている柱の根本と敷居と足固めが白蟻にやられている。旧柱を残し、足固めを外し、 基礎まで柱を通す。 柱の芯がずれるので、 梁方向に新設足固め。 桁方向にも足固め新設である。 軸組で耐力を取る。
【川尻公会堂着工1】12月6日
地震前から計画していた耐震工事がいよいよ始まった。 内部は危険なので入れない。 それで、工事現場の入り口に写真掲示することにした。開示できる写真を載せる。
【地蔵堂】 12月15日
川尻1町目の地蔵堂が傾いて、とりあえずの処置を地元の楠元建設が行っている。固定されていない足元が10cmずれている。 固定されていたら転倒していたかもしれない。 廉価での補修方法を考えなければならない。「震度7対策はできないが、5強対策はできる」と言ったら自治会長は安心された。
【筋交い】 12月19日
いままでの記事の内容で、 筋交いを否定しているように思われているかもしれないが、 そうではない。 筋交いは合理的で大変よい耐震補強材だ。しかし、伝統的構法の要素と筋交いを混同使用しても足し算にはならない。既存の建物に耐震性がほとんどない場合、 筋交いだけで耐震を考える場合もある。
【大工の執念】 12月20日
2方土台に柱が建っているように見えたが、 よく見ると、柱に足固めを刺してコミセン(込み栓)で留め、 もう一方の足固めは払い込んであった。現在は、柱は垂直に建てばよいという考えだが、 柱を足固めで固定して耐震要素にしようとしているのがうかがえる。手前の土台は新しく増築された部分。
【液状化と圧密沈下】 12月22日
液状化が起こると、マンホールは浮き上がり、電柱や建物はズブズブと沈む。周囲の地盤ともども建物も沈下するのは圧密沈下だろう。熊本市南区の場合は両方を混同している。 液状化か圧密沈下かの区別はどうでもよい。 沈むという事実が問題だ。「液状化だけの対策は打ちました。 でも圧密の方で沈みました」ではジョークにもならない。
【レイリー波測定】12月24日
地盤を調べるのには、スウェーデン式サウンディング調査が一般的だ。測定器の重りが100kg以下の場合は自沈となり、 「地盤改良」「杭施工」となる場合が多い。 土質の違いで、3KN/m²となったり、2KN/m²となったりする。もっと微妙な測定がいると思いレイリー波測定を行った。揚屋さんの鍬農組さんがレイリー波測定の機械を買ったので、調査をお願いした。沈下量が出るので、施主への説明もできる。 測定者の個人差もない。 液状化測定にはならないが、軟弱地盤の場合、 スウェーデン式サウンディング調査より信頼できる。
小さな町 川尻の震災報告18
【深川金物】 12月26日
川尻四つ角のシンボル深川金物は解体することになった。 増築改築を繰り返し、鉄骨で補強されていて、構造が全くわからない。 部分的に壁を開口してもわからない。さらに、 液状化で建物が11cm 不等沈下していた。公費解体の締め切りは12月末だった。 普段は修繕を勧めるが、 見える部分だけの継ぎ剥ぎ補修で10年延命させるより、解体新築がよいと進言した。まち並みに合った新築の設計を今から始める。 完成は3年後。
【川尻公会堂】 12月28日
内部の土壁も落とし、丸裸の状態だ。90年近く経過しているが、骨組みはしっかりしている。 正月休みに入るので、 戸締りしようがない。 放火が一番心配なので、TVカメラを設置し、 防犯カメラ稼働中の張り紙をあちこちに貼ってもらった。
【耐震壁】 1月10日
室内に耐震壁を設けられない場合、外部に設置する。 雨晒しになるので、板金でカバーを付ける。
【通し柱の補修】1月12日
通し柱の破損は厄介だ。 しかし、 真壁の場合は外部から確認が可能で、補修も簡単だ。桁側に同じ大きさの柱を添えて、コーチボルトで6カ所ぐらい縫えばよい。 新しい基礎はいらない。 地震時の基礎が平常時の基礎より大きくなることはない(平常時に基礎が不足している場合は別)。
【大壁隅柱の補強】1月15日
大壁の隅柱の補強は厄介だ。 内部と外部から新設柱でサンドイッチにした。
小さな町 川尻の震災報告19
公共工事の民業圧迫
【I: 修繕しないの? 土木事務所】2月17日
被災して、お金がないから、 修繕もできない人は多い。 しかし、お金がなくても、修繕ならいざ知らず、 新築に踏み切る団体がある。「熊本県」だ。 土木事務所と総合庁舎の建物の耐震性能残存率が0.6なので、建て替えと発表した。 建物は50年も経過していない。 2階建てで、窓がいっぱいあり、 補強壁の追加はしやすい。 また、敷地に余裕があるから隣に補強建築物を増築すれば、使いやすくもなる。 コンクリート造なので重いというなら、屋根だけを木造にして軽くすればよい。補強方法はたくさんある。そもそも耐震性能残存率o.6は少ない数値ではない。 震災直後、川尻公会堂は、 築85年で、 耐震能残存率は0.17だったが、 修繕を選択した。
【II : 修繕しないの? 総合庁舎】2月19日
コンクリートは圧縮がコンクリート、引っ張りが鉄筋で強度を保持している。コンクリートのひび割れの補強方法は確立しているので、 修繕方法はたくさんある。益城庁舎、八代庁舎、 大津庁舎、宇土庁舎、 天草庁舎(震災以前から計画)水俣庁舎、 熊本市役所別館、 土木事務所、 総合庁舎、市民病院が解体・新築される。耐震性能残存率 0.6以下は解体・新築すべきというなら、圧倒的に数の多い民間の建築物はどうなるのだろうか。震度6強を被災した建物は、見かけはなんともなくても、 診断すれば、耐震性能は必ず低下している。 低下している分の補強工事を県は啓蒙しなければならないのに、われ先に解体・新築とは。
【III:火事場泥棒】 2月21日
日本のどこかで、5年に1回の頻度で震度6強の地震は発生している。耐震性能が低下したから、すぐさま解体新築に志向するのは間違いである。 土木事務所と総合庁舎を解体し、新庁舎を建てるという。総合庁舎は現在も使っている。これから、県庁職員の給料削減が行われるだろう。 わずかな建築費補てんにしかならず、 県庁職員の士気は低下する。 どうして、修繕でなく、新築にシフトするのだろうか。熊本で一番美しい建物であった村野藤吾設計の熊本水道局が耐震性能の不足を理由に解体された。2階建て程度なら、大抵は耐震補強が可能だ。 新築は、知事の意思か、 議会か、局長か、コンサルタントか、 構造事務所か、構造計算者が、依頼者に対して忖度したと疑いたくもなる。災害の後は、お金がなくても、 ○○債がたくさん発行されている。お金は自分の代で返さなくてもよい。 次の代が返してくれる。火事場泥棒に似ている熊本県。
【IV: 民業圧迫】2月23日
100億円を越えるプロジェクトを、 熊本県は突然計画する。現在、建設工事はほとんど入札不調である。 入札不調になれば金額は上がる。100億円の予定は必ず膨らむ。 熊本城本丸御殿は58億円で、日本一の来場城だった。 その費用対効果は十分あった。 しかし、 100億円の新庁舎はお金を生むとは考えられない。むしろ、地震復旧工事の民業圧迫である。建設工事は地域産業で、地域内で完結するのが望ましい。 地震後、地域の施工能力の2~3倍の工事量が発注され、外国人労働者や隣県建設業に頼っている。 熊本県人の税金が隣県の割り増し施工費に使われると言ってもよい。 新庁舎は建設せず、 土木事務所と総合庁舎は修繕して使えばよいではないか。 議会で議論されると思うが、議員さんはあまり知らなかった。
【V: 鄙(ひな) の論理】3月3日
熊本県民の方へ。 土木事務所と総合庁舎を壊す計画だ。 わずかな被災は確かにある。 腕を骨折した人に、死んだ方がましですと死亡宣告をするようなもの。 県民みんなの建物だからもっと議論してほしい。現在防災センターが現庁舎の10階にあり、地震でエレベーターが止まり、支障をきたしたから、 新庁舎の低層部に引っ越ししたいという。同情を得たい気持ちでの発言と思うが、地震でエレベーターはそもそも止まるつくりになっている。福島原発の第2電源が平地設置なのと同じで、平常時専用の防災センターではなかったろうか。 であれば2階建ての土木事務所と入れ替われば、ことは済むのではないだろうか。細川 護煕元知事以降、県庁は2倍に拡大された。人口は2倍になっていない。 これから人口は縮小するというのに、 新庁舎をもう1棟建てるとはなにごとかと思う。 値上がりした建築費、県外からの労働者割り増し賃金は、私たちの代では払い切れないので、 次世代の子どもたちが払ことになる。 勝手に債務者にされた子どもたちの了解は取らなくてよいのだろうか。 せめて議会で真剣に議論してほしい。 県の幹部の方は、細川元知事『鄙の論理』を読み直してはいかがか。 ちなみに本日は、意味は違うがお雛さま。
◆『鄙の論理』1991年発行の、細川・岩国哲人共著で行政の在り方を書いた本。